2010年07月29日
夏まつり開催のお知らせ(vol.178)
8月1日(日)、曹源寺(静岡市葵区長妻田25)にて「安倍奥 曹源寺坂の流しそうめん祭りvol.1」(主催:安倍奥の会、後援:静岡市葵区玉川地区連合町内会)が開催されます。概要は下記のとおりです。
記
【時間】
9:00/流しそうめんの竹スライダー設置
11:00/流しそうめん&田舎カフェと地場産品店の開店
【参加費】
300円(流しそうめんを食べる方)
【注目!!】
森下よしひさフォークライブ
【交通手段】
◎バス 1100円
~行き方~(しずてつバス「安倍線上落合行き」) 静岡駅前(8:17発)→長妻田(9:28)或いは、静岡駅前(12:07発)→長妻田(13:18)
~帰り方~(しずてつバス「静岡駅行き」) 長妻田(14:26)→静岡駅(15:34)、長妻田(17:01)→静岡駅(18:10)
◎マイカー
駐車場 曹源寺近在4箇所で都合100台
【詳細】
安倍奥の会ホームページ http://abeoku.comi.in/
【お問合せ】
安倍奥の会 ℡090-8548-4209 eメール abeoku@comi.in
記
【時間】
9:00/流しそうめんの竹スライダー設置
11:00/流しそうめん&田舎カフェと地場産品店の開店
【参加費】
300円(流しそうめんを食べる方)
【注目!!】
森下よしひさフォークライブ
【交通手段】
◎バス 1100円
~行き方~(しずてつバス「安倍線上落合行き」) 静岡駅前(8:17発)→長妻田(9:28)或いは、静岡駅前(12:07発)→長妻田(13:18)
~帰り方~(しずてつバス「静岡駅行き」) 長妻田(14:26)→静岡駅(15:34)、長妻田(17:01)→静岡駅(18:10)
◎マイカー
駐車場 曹源寺近在4箇所で都合100台
【詳細】
安倍奥の会ホームページ http://abeoku.comi.in/
【お問合せ】
安倍奥の会 ℡090-8548-4209 eメール abeoku@comi.in
2010年06月24日
“つぶやき”にぼやく(vol.177)
某地方紙の夕刊に“つぶやき”という欄がある。
いわゆる読者からの投稿記事を掲載する欄である。
今日の、そこの記事である。
田植え時期の風物詩、“水カガミ”を横に朝の散策をする。
安倍川からの取り水が・・・
と、いったはじまりで、安倍川の畔であることがうかがえる。
この、
―“水カガミ”を見に行こう!!
と思い、文末の投稿者の住所に目をやる―。
(〇〇〇子、静岡市葵区、主婦)
とあり、葵区の先(―あざ―)が書かれていないのだ。
そこが(―広大な―)葵区のどこなのか、知ることができないのである。
市町村の合併以降、新聞記事を読んで、こういった残念な思いをしたことは一度や二度ではない。
いわゆる読者からの投稿記事を掲載する欄である。
今日の、そこの記事である。
田植え時期の風物詩、“水カガミ”を横に朝の散策をする。
安倍川からの取り水が・・・
と、いったはじまりで、安倍川の畔であることがうかがえる。
この、
―“水カガミ”を見に行こう!!
と思い、文末の投稿者の住所に目をやる―。
(〇〇〇子、静岡市葵区、主婦)
とあり、葵区の先(―あざ―)が書かれていないのだ。
そこが(―広大な―)葵区のどこなのか、知ることができないのである。
市町村の合併以降、新聞記事を読んで、こういった残念な思いをしたことは一度や二度ではない。
2010年06月22日
横沢で花壇づくり(vol.176)
6月12日(土)、安倍川支流西河内川筋にある集落である横沢の集会所前で、花壇づくりが行われました。
地元の人と、安倍奥の会会員など20名ほどが汗を流しました。

県道沿いに向日葵が咲きます。

長倉さんのイイ笑顔!!

集会所玄関口にも花を植えました。

終わってからのバーベキュー大会の様子。

フォーク喫茶「海風」(葵区鷹匠)マスターの森下さんの弾き語りも披露されました。

静岡市玉川地区集落支援員の服部さんが焼く鯖や鯵のひらきは大好評でした!!
地元の人と、安倍奥の会会員など20名ほどが汗を流しました。
県道沿いに向日葵が咲きます。
長倉さんのイイ笑顔!!
集会所玄関口にも花を植えました。
終わってからのバーベキュー大会の様子。
フォーク喫茶「海風」(葵区鷹匠)マスターの森下さんの弾き語りも披露されました。
静岡市玉川地区集落支援員の服部さんが焼く鯖や鯵のひらきは大好評でした!!
2010年06月08日
第2回安倍奥ママチャリ下り(vol.175)
5月30日(日)、昨秋に好評を得た「安倍奥ママチャリ下り」が行われました。安倍奥の風光を愛でながら、自転車でゆっくり安倍川の流れに沿って下ろうといったものです。前回は、中河内川筋の上落合スタートとしましたが、今回は西河内川筋の横沢をスタート地点としました。途中、桂山にある長光寺さんの境内では、新茶、手づくりのおまんじゅう、豆ご飯のおむすびなども振舞われました。
私はというと、「茶娘」ならぬ「茶男」として、振舞いのお手伝いをしました。



私はというと、「茶娘」ならぬ「茶男」として、振舞いのお手伝いをしました。
2010年05月26日
新居生活(vol.174)
新居のベランダから、雨上がりの夕空
アパートなので、鉢ものの植物を育てています。アパートに来てから、一輪、小さな花がつきました。
画像は、沼津市大瀬崎のイラストライター藤井さん(喫茶店アザセボラ)からいただいた「ミヤコワスレ」。藤井さんには、源頼朝に因んだ西伊豆町の民話(「音無川の謂れ」のイラストを描いてもらいました)。
2010年05月19日
引越しました(vol.173)
ブログの間隔を、一ヶ月ほどあけてしまいました。
先月23日(土)に焼津市八楠に引越し、そのことで追われてしまいました。
私が引っ越した八楠というところも、安倍七騎ゆかりの地で、元亀元年正月に起きた花沢城(今川家臣 小原肥前守)攻めで、武田に与した安倍七騎のひとりが、俸禄としてたまわった土地であります。
先月23日(土)に焼津市八楠に引越し、そのことで追われてしまいました。
私が引っ越した八楠というところも、安倍七騎ゆかりの地で、元亀元年正月に起きた花沢城(今川家臣 小原肥前守)攻めで、武田に与した安倍七騎のひとりが、俸禄としてたまわった土地であります。
2010年04月22日
山西の話をしてきました(vol.172)
20日の火曜日には、焼津グランドホテルにて、焼津南ロータリークラブ様の例会がありました。
2月から5月まで、毎月1回のペースで卓話をさせてもらいますが、今回は第3回目ということで、「安倍七騎が馳せた時代―我が郷土山西のこと―」と題しお話をいたしました。
この山西ということばは、山の西側ということで、現在の静岡市と焼津市の境にある山「高草山」の西側という意味で、戦国時代には現在の藤枝市、焼津市域をこう呼びました。
また、焼津の地名の謂われ―益津の焼津への転訛説、日本武尊に因んだ説―についてもお話をしましたが、どちらがもっともらしいかの手がかりは、以外にも江戸時代に奥藁科について書かれた書物のなかにあったと、紹介しました。

2月から5月まで、毎月1回のペースで卓話をさせてもらいますが、今回は第3回目ということで、「安倍七騎が馳せた時代―我が郷土山西のこと―」と題しお話をいたしました。
この山西ということばは、山の西側ということで、現在の静岡市と焼津市の境にある山「高草山」の西側という意味で、戦国時代には現在の藤枝市、焼津市域をこう呼びました。
また、焼津の地名の謂われ―益津の焼津への転訛説、日本武尊に因んだ説―についてもお話をしましたが、どちらがもっともらしいかの手がかりは、以外にも江戸時代に奥藁科について書かれた書物のなかにあったと、紹介しました。
2010年04月18日
早朝の倉庫群(vol.171)
早朝、清水港付近の倉庫群の写真をとりました。



いわゆる安倍七騎の末裔といわれる人のなかには、清水港を拠点に活躍した(―あるいは、今も活躍されている―)人がいます。
海野孝三郎氏…明治期、県会議員をつとめ、また、静岡茶を初めて海外に輸出した人です。お茶の輸出にあたり、お茶の質の向上にも尽力しました。
望月兄弟社…今のアオキトランス㈱の前身です。江戸期、安倍七騎望月四郎右衛門と同系の方がはじめました。今も取締役会長は望月氏です。
いわゆる安倍七騎の末裔といわれる人のなかには、清水港を拠点に活躍した(―あるいは、今も活躍されている―)人がいます。
海野孝三郎氏…明治期、県会議員をつとめ、また、静岡茶を初めて海外に輸出した人です。お茶の輸出にあたり、お茶の質の向上にも尽力しました。
望月兄弟社…今のアオキトランス㈱の前身です。江戸期、安倍七騎望月四郎右衛門と同系の方がはじめました。今も取締役会長は望月氏です。
2010年04月14日
今年の「坂本愛郷の会」の活動は…(vol.170)
11日(日)には、奥藁科の坂本公民館にて、「坂本愛郷の会」(山田唯夫会長はじめ、会員17名)の総会がありました。

総会は午後1時からはじまり、総会の後は自然と歓談にながれて3時ごろお開きとなりました。
今年は、米沢官女が名馬「磨墨」を源頼朝の家来に引き出すために通ったと云われる、「肱打峠」(葵区坂の上)の整備なども手掛ける模様です。
この峠は、肱(ひじ)をつかないと登れないことからその名がついたとも、また、峠が「四十一のつづら折」であるため、「しじゅういち」→「ひじうち」と転訛したとも云われています。

帰りは、藁科から朝比奈へと山越えをして、野田沢集落へ抜けました。

野田沢川畔の枝垂れ桜

岡部の殿は蓮華が咲き乱れておりました。
この殿という地名は、今川家の有力家臣であった朝比奈氏が居たことにより、この名がつきました。
総会は午後1時からはじまり、総会の後は自然と歓談にながれて3時ごろお開きとなりました。
今年は、米沢官女が名馬「磨墨」を源頼朝の家来に引き出すために通ったと云われる、「肱打峠」(葵区坂の上)の整備なども手掛ける模様です。
この峠は、肱(ひじ)をつかないと登れないことからその名がついたとも、また、峠が「四十一のつづら折」であるため、「しじゅういち」→「ひじうち」と転訛したとも云われています。
帰りは、藁科から朝比奈へと山越えをして、野田沢集落へ抜けました。
野田沢川畔の枝垂れ桜
岡部の殿は蓮華が咲き乱れておりました。
この殿という地名は、今川家の有力家臣であった朝比奈氏が居たことにより、この名がつきました。
2010年04月08日
地場の逸品(vol.169)
今週の日曜日、栃沢へ行きましたが、途中、県道362号線沿いにある「わらびこ」に立ち寄りました。
週末になると、近くの人たちが市を開き、農作業具、被服、地元ならではの食べ物などを販売しているようで、「いのしし飯」と「焼餅」をお土産に買いました。

美味しかった「いのしし飯」と「焼餅」。
いずれもずっしりとした手抜きのない逸品。
やっぱり食べ物も“手ごたえ”(―食べごたえ―)がないとね!!
週末になると、近くの人たちが市を開き、農作業具、被服、地元ならではの食べ物などを販売しているようで、「いのしし飯」と「焼餅」をお土産に買いました。
美味しかった「いのしし飯」と「焼餅」。
いずれもずっしりとした手抜きのない逸品。
やっぱり食べ物も“手ごたえ”(―食べごたえ―)がないとね!!
2010年04月04日
栃沢のお茶会(vol.168)
本日4日(日)、奥藁科は栃沢のお茶会(主催:大川お茶まつり実行委員会)に行ってきました。今年は、県知事さんもお見えになったそうで、こういった地域の活動が認められていることを、嬉しく思いました。

龍珠院会場でのお茶会の様子。亭主は内野清己さん。

かつて名主家だった米沢家と枝垂れ桜。今年はお茶会の日にあわせたように、見事に咲き誇っていました。
龍珠院会場でのお茶会の様子。亭主は内野清己さん。
かつて名主家だった米沢家と枝垂れ桜。今年はお茶会の日にあわせたように、見事に咲き誇っていました。
2010年03月26日
安倍奥の春(vol.167)
21日の春分の日には、安倍奥曹源寺(玉川の支流中河内川筋)さんにて、120名ほどの檀家のみなさんを前にお話をさせてもらいました。
その後、「安倍奥の会」の用事で、玉川の支流西河内川筋にも足をのばしました。
安倍奥に春を感じました。

黒壁の下平瀬の家

水仙の咲き誇り

下平瀬の吊り橋

木の吊り橋なので、橋材の脇から赤い植物の花(?)が

白髭神社境内の花(椿かな?)
その後、「安倍奥の会」の用事で、玉川の支流西河内川筋にも足をのばしました。
安倍奥に春を感じました。
黒壁の下平瀬の家
水仙の咲き誇り
下平瀬の吊り橋
木の吊り橋なので、橋材の脇から赤い植物の花(?)が
白髭神社境内の花(椿かな?)
2010年03月20日
週末もお話会(vol.166)
今週の火曜日には、焼津グランドホテルにて、焼津南ロータリークラブ様の例会において、卓話の機会を賜りました。
そして今週末―、
21日(日)午前10時30分から、安倍奥は中河内川沿いにあるお寺、曹源寺(葵区長妻田25 電話054-297-2153)にてお話会を行います。
タイトルは「安倍奥歴史譚」で、安倍奥に残る伝説のほか、私の思う武田騎馬隊の実像などについてお話をしようと思っています。
『安倍七騎』執筆時分から交流のある葵区坂本―藁科川支流の坂本川筋の集落―の山田唯夫さん(坂本愛郷の会会長)らもお見えになるということで、とても楽しみにしています。
これを機会に、安倍川筋と藁科川筋の新たな交流が生まれたら嬉しいなぁ―などと、ひとり思っています。
そして今週末―、
21日(日)午前10時30分から、安倍奥は中河内川沿いにあるお寺、曹源寺(葵区長妻田25 電話054-297-2153)にてお話会を行います。
タイトルは「安倍奥歴史譚」で、安倍奥に残る伝説のほか、私の思う武田騎馬隊の実像などについてお話をしようと思っています。
『安倍七騎』執筆時分から交流のある葵区坂本―藁科川支流の坂本川筋の集落―の山田唯夫さん(坂本愛郷の会会長)らもお見えになるということで、とても楽しみにしています。
これを機会に、安倍川筋と藁科川筋の新たな交流が生まれたら嬉しいなぁ―などと、ひとり思っています。
2010年03月16日
やっぱり若杉さんはすごい!(vol.165)
3月13日(土)、自給自足の生活をされている若杉友子さんの講演会(タイトル「健康に役立つ野草のお話」)へ行ってきました。
講演は、「おばあちゃんの陰陽表」という図に沿って、若杉さんの食物観を説かれました。
諺に「秋茄子は嫁に食わすな」と言われますが、私なぞは「姑が、嫁になぞ美味しい秋茄子を食べさせてなるものか―」といった解釈でいましたが、若杉さんによると、秋茄子は陰の強い食べ物で流産するからだということでした。
また、「F1」という――多収穫量・低コストのためにつくりだされた“次世代への命の継続性のない種”――からできた農作物が多く出回り、健康が危ぶまれる時代だとも説かれました。
若杉友子さんは72歳。約2時間の講演で、途中休憩もとらず、終始朗々と力強い声で話されていました。こんな若杉さんを見ていると、ちゃんとしたものを食べている人は違うなと、思わざるをえませんでした。



2時間にもおよぶ講演終了後、若杉さんのもとへ受講者の方が大勢集まりました。
みなさんの食に対する関心の高さが伺えました。
講演は、「おばあちゃんの陰陽表」という図に沿って、若杉さんの食物観を説かれました。
諺に「秋茄子は嫁に食わすな」と言われますが、私なぞは「姑が、嫁になぞ美味しい秋茄子を食べさせてなるものか―」といった解釈でいましたが、若杉さんによると、秋茄子は陰の強い食べ物で流産するからだということでした。
また、「F1」という――多収穫量・低コストのためにつくりだされた“次世代への命の継続性のない種”――からできた農作物が多く出回り、健康が危ぶまれる時代だとも説かれました。
若杉友子さんは72歳。約2時間の講演で、途中休憩もとらず、終始朗々と力強い声で話されていました。こんな若杉さんを見ていると、ちゃんとしたものを食べている人は違うなと、思わざるをえませんでした。
2時間にもおよぶ講演終了後、若杉さんのもとへ受講者の方が大勢集まりました。
みなさんの食に対する関心の高さが伺えました。
2010年03月12日
若杉友子さんの講演会(vol.164)
京都府綾部市で自給自足の生活をされている若杉友子さんが、今週末13日(13:30から15:30)に、焼津公民館にて講演をされます。演題は「健康に役立つ野草のお話」で、申込みは焼津市生活安全課(054-626-1131)です。
“体によい、為になる話が聴ける”ということも然りながら、「元気で陽気に暮らす」がモットーの若杉おばあちゃんの生活ぶりや体験談などが聴けることも楽しみにしています。
“体によい、為になる話が聴ける”ということも然りながら、「元気で陽気に暮らす」がモットーの若杉おばあちゃんの生活ぶりや体験談などが聴けることも楽しみにしています。
2010年03月01日
3つの墓がある―。(vol.163)
時は戦国時代―。
信州から、駿河の峰に3人の侍が落ち延びてきた。
「ここはすでに駿州。されば、ひとまずは安心じゃ」
と、北澤が安堵顔をさらした。
が、勝美の「しかし…」の言に「応さ」と上仲が頷く。
「このまま3人で行動を共にしてはまずかろうて…、ここからは、別々じゃ」
上仲は言うがはやいか「達者でな」と身を翻した。
これに「待て」と勝美がその背に吐した。
勝美は、霧が鎮まる谷中を指さすと、
「わしはあれなる場所に庵を結ぶが、四郎右衛門、御主(おぬし)はどうする」
と問うた。これに、
「されば、あれなる場所に居を構えよう」と上仲は頃合の一峰(いっぽう)を指さすと、残る北澤が、
「ならば、わしはあの大杉が立つあたりにしよう」と別の峰を指さした。
3人は、互いに肩を叩きあうと、
「我らはこれまで互いを助け死線を潜り抜けた仲じゃ。この仲は、死してもかわるまいぞ」と顔をほころばせた。
やがて、歳月がめぐり、3人は世を去った。
奥藁科に、3つの墓がある―。
栃沢には勝美氏、峰山には上仲氏、杉尾には北澤氏の墓がある。
この3つのお墓は、今でも互いに向きあってひっそりと佇んでいる。

栃沢にある勝美氏のお墓

このお話を聞かせてくれた栃沢の出雲武さん。今年で89歳になられる。出雲さんは、『安倍七騎』の取材からお世話になっている。
あと、私ごとですが―。
わたくし淺羽克典は、来月に、勝美(勝見)氏の末裔の方と結婚します。
信州から、駿河の峰に3人の侍が落ち延びてきた。
「ここはすでに駿州。されば、ひとまずは安心じゃ」
と、北澤が安堵顔をさらした。
が、勝美の「しかし…」の言に「応さ」と上仲が頷く。
「このまま3人で行動を共にしてはまずかろうて…、ここからは、別々じゃ」
上仲は言うがはやいか「達者でな」と身を翻した。
これに「待て」と勝美がその背に吐した。
勝美は、霧が鎮まる谷中を指さすと、
「わしはあれなる場所に庵を結ぶが、四郎右衛門、御主(おぬし)はどうする」
と問うた。これに、
「されば、あれなる場所に居を構えよう」と上仲は頃合の一峰(いっぽう)を指さすと、残る北澤が、
「ならば、わしはあの大杉が立つあたりにしよう」と別の峰を指さした。
3人は、互いに肩を叩きあうと、
「我らはこれまで互いを助け死線を潜り抜けた仲じゃ。この仲は、死してもかわるまいぞ」と顔をほころばせた。
やがて、歳月がめぐり、3人は世を去った。
奥藁科に、3つの墓がある―。
栃沢には勝美氏、峰山には上仲氏、杉尾には北澤氏の墓がある。
この3つのお墓は、今でも互いに向きあってひっそりと佇んでいる。
栃沢にある勝美氏のお墓
このお話を聞かせてくれた栃沢の出雲武さん。今年で89歳になられる。出雲さんは、『安倍七騎』の取材からお世話になっている。
あと、私ごとですが―。
わたくし淺羽克典は、来月に、勝美(勝見)氏の末裔の方と結婚します。
2010年02月21日
焼津南RC様例会に呼んでいただきます(vol.162)
2月23日(火)は、私が住む焼津市浜当目の「虚空蔵山大祭」の日です。
丁度この日、焼津グランドホテル(浜当目)で行われる焼津南ロータリークラブ様の例会に、卓話者として呼んでいただきました。
この日をかわきりに、全4回、5月までお話をさせてもらいますが、山上に建つグランドホテルがあったあたりは、戦国時代、浜当目の殿山に屹立していた砦(殿山砦)と虚空山(―駿河湾をゆく水軍の監視所があったと思われる―)を結ぶ中継地点でありました。
拙著『安倍七騎』にも折り込みましたが、この辺りで繰り広げられた徳川と武田の「当目坂戦史」についても触れたいと思います。
頑張ります!!

右崖下に駿河湾を望む虚空蔵山と、その左脇に佇む焼津グランドホテル。
伊豆、駿府方面に見晴らしが利き、なおかつホテル(―左が松風閣、右が焼津グランドホテル―)が2棟建つほどの平地があったことから、ここにも軍事拠点があったとも考えられる。ホテルの基礎を造ったとき、何か出土しなかったかが気になる。
左の尾根伝いにゆくと、殿山。

拙宅から望む殿山
武田領治の時代、この山上に建っていた殿山砦は、持舟城の枝城の役割を果たしていた。
丁度この日、焼津グランドホテル(浜当目)で行われる焼津南ロータリークラブ様の例会に、卓話者として呼んでいただきました。
この日をかわきりに、全4回、5月までお話をさせてもらいますが、山上に建つグランドホテルがあったあたりは、戦国時代、浜当目の殿山に屹立していた砦(殿山砦)と虚空山(―駿河湾をゆく水軍の監視所があったと思われる―)を結ぶ中継地点でありました。
拙著『安倍七騎』にも折り込みましたが、この辺りで繰り広げられた徳川と武田の「当目坂戦史」についても触れたいと思います。
頑張ります!!
右崖下に駿河湾を望む虚空蔵山と、その左脇に佇む焼津グランドホテル。
伊豆、駿府方面に見晴らしが利き、なおかつホテル(―左が松風閣、右が焼津グランドホテル―)が2棟建つほどの平地があったことから、ここにも軍事拠点があったとも考えられる。ホテルの基礎を造ったとき、何か出土しなかったかが気になる。
左の尾根伝いにゆくと、殿山。
拙宅から望む殿山
武田領治の時代、この山上に建っていた殿山砦は、持舟城の枝城の役割を果たしていた。
2010年02月12日
inaカフェオープン(vol.162)
11日、安倍奥の松尾山曹源寺さんの開眼供養で「inaカフェ」をオープンしました。

雨のなか、檀家の皆さんが集まりました。

本山を開創した朝倉氏の業績にちなんだ「金な粉餅」と「お茶壷餅」をセットとして、「朝倉餅」として売り出しました。色懐紙には、謂われが書かれています。

お土産用の50セットは、15分ほどで売り切れました。

雨中でも、集落の人たちが建ててくれたテントで「inaカフェ」は無事オープン。

霧雨にけむる松尾山曹源寺
茶畑の翠に赤い屋根が映えます。
雨のなか、檀家の皆さんが集まりました。
本山を開創した朝倉氏の業績にちなんだ「金な粉餅」と「お茶壷餅」をセットとして、「朝倉餅」として売り出しました。色懐紙には、謂われが書かれています。
お土産用の50セットは、15分ほどで売り切れました。
雨中でも、集落の人たちが建ててくれたテントで「inaカフェ」は無事オープン。
霧雨にけむる松尾山曹源寺
茶畑の翠に赤い屋根が映えます。
2010年02月06日
inaカフェやります(vol.161)
11日(木)午前10時ごろから12時ごろまで、葵区長妻田の曹源寺にてinaカフェをやります。
当日は、コーヒー、芋煮、本山茶、それから、このお寺開創者朝倉氏の歴史にまつわるお餅(創作餅)の販売をおこないます。
みなさん、来てくださ~い。
当日は、コーヒー、芋煮、本山茶、それから、このお寺開創者朝倉氏の歴史にまつわるお餅(創作餅)の販売をおこないます。
みなさん、来てくださ~い。
2010年01月25日
ツララかな、、、(vol.160)
朝、自動車のウインドウに降りた露が凍りつくほどの、寒い日が続きます。
国道150号線の新日本坂トンネルを東に抜け、最初の交差点を左折するのが、私の通勤ルートです。
その先、東名高速道路の下をくぐるとき、こんなものを目にしました。
――寒いもんねぇ、ツララもできるよなぁ・・・。
などと、思いつつ3日がすぎました。
しかし、一向にツララは融け落ちません。
で、よ~く見たら、その“ツララ”は壁にも垂直に伸びている。
どうやら東名の高架の補強工事のパーツだったようです。



