2012年01月21日
浪人坂のお話など(vol.231)
今日は藤枝市は野田沢(のたんざわ・旧志太郡岡部町)にある増田辨之助(昭和3年生まれ:ますだ・べんのすけ)さんのお宅を訪ねた。増田さんは、『安倍七騎』初版発行後すぐに拙宅に電話をくれ、本を買い求めてくれた方。だから、5~6年前からのお付き合いになる。
午後3時、小雨にけむるなか、野田沢に架かる赤い小橋をこえ、増田さん宅を訪れた。
玄関引き戸を開けるとそこは土間、土間の左手が客間、客間の右が居間といった日本古来の佇まいの住宅である。
増田さん宅でのお話―。
・この岡部の殿(との:拙著『安倍七騎』に登場する朝比奈氏の菩提寺があるところ)と静岡の飯間(はんま:藁科川沿いにあった小瀬戸城の兵を養うために“ご飯”をつくったところ)を結ぶ野田沢の道の歴史は古い。徳川家康が駿府城入城にあたり、通ったとされる道でもある。
・この道沿いに「義経のかくれ石」があったが、道の拡張整備にあたり、方丈さんによるお祓いののち、土中に埋められた。
・その昔、ひとりの浪人かこの道を行くと、侍ふたりと決闘となり―ふたりに前後をはさまれたのち―斬られた。その“ローニンさん”を村人が介抱したとき、おのれの死を悟った“ローニンさん”は「ここで(―斬られた場所で―)何事があっても怪我はさせない」と言い、しばらくののち死んだという。その言葉のとおり、そこの坂「浪人坂」では怪我がでないといわれている。増田さんの弟さんも、ここで若いドライバーが運転する乗用車と衝突したが、無事に済んだという。
かれこれ小一時間、こんな話に花が咲いた。

赤い小橋のたもとに実った真っ赤な南天の実

増田さんのお宅

並んだ養蜂箱の右手(野田沢の下流側)に「義経のかくれ石」が埋まっている

ローニンさんのお墓。今も村人による香華が絶えない

お墓に刻まれた文字(90度回転で見てください)
午後3時、小雨にけむるなか、野田沢に架かる赤い小橋をこえ、増田さん宅を訪れた。
玄関引き戸を開けるとそこは土間、土間の左手が客間、客間の右が居間といった日本古来の佇まいの住宅である。
増田さん宅でのお話―。
・この岡部の殿(との:拙著『安倍七騎』に登場する朝比奈氏の菩提寺があるところ)と静岡の飯間(はんま:藁科川沿いにあった小瀬戸城の兵を養うために“ご飯”をつくったところ)を結ぶ野田沢の道の歴史は古い。徳川家康が駿府城入城にあたり、通ったとされる道でもある。
・この道沿いに「義経のかくれ石」があったが、道の拡張整備にあたり、方丈さんによるお祓いののち、土中に埋められた。
・その昔、ひとりの浪人かこの道を行くと、侍ふたりと決闘となり―ふたりに前後をはさまれたのち―斬られた。その“ローニンさん”を村人が介抱したとき、おのれの死を悟った“ローニンさん”は「ここで(―斬られた場所で―)何事があっても怪我はさせない」と言い、しばらくののち死んだという。その言葉のとおり、そこの坂「浪人坂」では怪我がでないといわれている。増田さんの弟さんも、ここで若いドライバーが運転する乗用車と衝突したが、無事に済んだという。
かれこれ小一時間、こんな話に花が咲いた。
赤い小橋のたもとに実った真っ赤な南天の実
増田さんのお宅
並んだ養蜂箱の右手(野田沢の下流側)に「義経のかくれ石」が埋まっている
ローニンさんのお墓。今も村人による香華が絶えない
お墓に刻まれた文字(90度回転で見てください)
2012年01月15日
お食い初め(vol.230)
生まれて100日目にお食い初めという儀式が行われる。これは、その子が一生食べるのに困らないようにという、親の願いをこめたもの。
さて、前号にでてきた義叔父から聞いた話―。
私のお食い初めには、大崩海岸の黒鯛が用いられた。これは、祖母にお食い初め用に釣ってきてと頼まれたものだそうで、だから「克典は魚釣りが好きになったんだ」と祖母や義叔父に言われたものだ。
釣好きとなっため、少年時代に義叔父に安倍川へ鮎釣りに連れて行ってもらい、安倍七騎を知ったということになる。であるから、私がお食い初めで黒鯛を食さなければ、小説『安倍七騎』は生まれなかったということか。
今日、娘のお食い初めを行った。
それに用いたのは、女の子らしく(?!)赤い鯛とした。

映画『武士の家計簿』のセリフ 「鯛じゃ、鯛じゃ‥」
同映画では、家計が苦しく鯛が買えなかったため、紙に鯛の絵を描いて上のセリフを連呼していた。
―当時、これだけの鯛を調達できたのであれば、娘はお姫様並みだよね。―と妻との会話。

記念にとったのは―、

娘の足がた
さて、前号にでてきた義叔父から聞いた話―。
私のお食い初めには、大崩海岸の黒鯛が用いられた。これは、祖母にお食い初め用に釣ってきてと頼まれたものだそうで、だから「克典は魚釣りが好きになったんだ」と祖母や義叔父に言われたものだ。
釣好きとなっため、少年時代に義叔父に安倍川へ鮎釣りに連れて行ってもらい、安倍七騎を知ったということになる。であるから、私がお食い初めで黒鯛を食さなければ、小説『安倍七騎』は生まれなかったということか。
今日、娘のお食い初めを行った。
それに用いたのは、女の子らしく(?!)赤い鯛とした。
映画『武士の家計簿』のセリフ 「鯛じゃ、鯛じゃ‥」
同映画では、家計が苦しく鯛が買えなかったため、紙に鯛の絵を描いて上のセリフを連呼していた。
―当時、これだけの鯛を調達できたのであれば、娘はお姫様並みだよね。―と妻との会話。
記念にとったのは―、
娘の足がた
2012年01月14日
続きのお話(vol.229)
昨日アップしたvol.228の続きです。
昨日、玉機橋の話をしましたが、最近開通した、足久保と油山をつなぐ県道29号線の筋もあったそうです。油山にある駿河変電所の南側に(油山川をへだてたあたりに)小山がありますが、その山道があり、その道幅は1メートルにもみたないものだったそうです。だから、義叔父が自転車でそこを通る折、反対側から人や自転車が来ると、やり過ごすのに大変苦労したそうです。
さて、その頃の玉川は桂山界隈の話―。
見月山の桂山側の山ろくには、当時、サナトリウム(結核の療養所)があったそうです。当時、結核は映画『絶唱』(私の小学生の頃は、山口百恵さん、三浦友和さん)に見るように、死の病で、桂山では、そのサナトリウムを「死病院」と呼んでいました。
そのサナトリウムの患者さんの洗濯物は中河内川でジャブジャブと洗われていました。
当時の衛生意識はお粗末で、患者の洗濯物を洗う1メートル下流で水浴びをするといった具合だったので(―なぜならば、当時の村人の考えだと「三尺も流れれば、汚れ・菌はなくなる」といったものでした―)、それによる感染者もいたようでした。
さて、その後の義叔父一家の話―。
義叔父とその父は、天王町のバラックにすんでいましたが、家族全員で、も少しマシな家に住もうと、家を建てることになりました。その建材は、桂山の材木で、上助の対岸の山の木でした(当時、其の近くには、火葬場があったそうです)。
木を切り出す作業を切り盛りした人は義三郎さんと云う人で、みなに“ギサ兄ィ”よばれていたそうです。
当時、川筋の木材は、トラックなどでは運び出しません。桂山の木材は、中河内川の流れにのせて、川を下ってゆくのでした。筏を組んで流された木材は、今の水道町の辺りで引き揚げられます(まさに、“みずみち”の終点ですね)。
やがて、念願叶って天王町に家を建てたのですが、それでも壁は空襲で焼け焦げたブリキの波板で、隙間風が吹き込む家だったそうです。
昨日、玉機橋の話をしましたが、最近開通した、足久保と油山をつなぐ県道29号線の筋もあったそうです。油山にある駿河変電所の南側に(油山川をへだてたあたりに)小山がありますが、その山道があり、その道幅は1メートルにもみたないものだったそうです。だから、義叔父が自転車でそこを通る折、反対側から人や自転車が来ると、やり過ごすのに大変苦労したそうです。
さて、その頃の玉川は桂山界隈の話―。
見月山の桂山側の山ろくには、当時、サナトリウム(結核の療養所)があったそうです。当時、結核は映画『絶唱』(私の小学生の頃は、山口百恵さん、三浦友和さん)に見るように、死の病で、桂山では、そのサナトリウムを「死病院」と呼んでいました。
そのサナトリウムの患者さんの洗濯物は中河内川でジャブジャブと洗われていました。
当時の衛生意識はお粗末で、患者の洗濯物を洗う1メートル下流で水浴びをするといった具合だったので(―なぜならば、当時の村人の考えだと「三尺も流れれば、汚れ・菌はなくなる」といったものでした―)、それによる感染者もいたようでした。
さて、その後の義叔父一家の話―。
義叔父とその父は、天王町のバラックにすんでいましたが、家族全員で、も少しマシな家に住もうと、家を建てることになりました。その建材は、桂山の材木で、上助の対岸の山の木でした(当時、其の近くには、火葬場があったそうです)。
木を切り出す作業を切り盛りした人は義三郎さんと云う人で、みなに“ギサ兄ィ”よばれていたそうです。
当時、川筋の木材は、トラックなどでは運び出しません。桂山の木材は、中河内川の流れにのせて、川を下ってゆくのでした。筏を組んで流された木材は、今の水道町の辺りで引き揚げられます(まさに、“みずみち”の終点ですね)。
やがて、念願叶って天王町に家を建てたのですが、それでも壁は空襲で焼け焦げたブリキの波板で、隙間風が吹き込む家だったそうです。
2012年01月13日
遅れ馳せながら―、(vol.228)
目下3ヶ月になる娘の世話で、ブログも疎かな状態です。
遅れ馳せながら、皆さま、明けましておめでとうございます。
昨年は世間的にみると、震災一色の感で一年が終えました。
今年は安らぎの年でありますよう、心から祈ります。
さて、正月2日には、静岡の義叔父(東京大森、昭和5年生まれ)が遊びに来、昭和20年の終戦日のころの
話をしてくれました。
当時、義叔父自身は、彼の父と静岡の天王町に住んでいて、彼の母と妹が、玉川は上助にあった三軒長屋に疎開していたそうです。そのころの静岡市街は空襲で焼け野原だったそうです。だから、天王町の家も掘っ立て小屋だったそうです。
終戦のその日、義叔父は天王町の自宅から自転車(自転車といっても、タイヤがゴムホースのようなもので、すぐにホイールから外れた)で玉川に向かいました。当時、牛妻の玉機橋は、大雨によって一部が破壊され(木造だった)、渡るのに苦労したそうです。
なんとか、油山側に渡り、松野あたりまできたころ、大勢の大人たちが外で話をしていました。
「おじさん、どうしたの?」と訊くと、
「日本が戦争に負けたんだって」
「そうか、負けたのか‥」
「何処へ行くんだ?」
「おふくろさんと妹が玉川の星野さんところへ疎開しているから、これから行くんだよ」
「そうか、けどもう戦争は終わったから、もう行かなくてもいいんだよ」
なんて、会話があったそうです。
遅れ馳せながら、皆さま、明けましておめでとうございます。
昨年は世間的にみると、震災一色の感で一年が終えました。
今年は安らぎの年でありますよう、心から祈ります。
さて、正月2日には、静岡の義叔父(東京大森、昭和5年生まれ)が遊びに来、昭和20年の終戦日のころの
話をしてくれました。
当時、義叔父自身は、彼の父と静岡の天王町に住んでいて、彼の母と妹が、玉川は上助にあった三軒長屋に疎開していたそうです。そのころの静岡市街は空襲で焼け野原だったそうです。だから、天王町の家も掘っ立て小屋だったそうです。
終戦のその日、義叔父は天王町の自宅から自転車(自転車といっても、タイヤがゴムホースのようなもので、すぐにホイールから外れた)で玉川に向かいました。当時、牛妻の玉機橋は、大雨によって一部が破壊され(木造だった)、渡るのに苦労したそうです。
なんとか、油山側に渡り、松野あたりまできたころ、大勢の大人たちが外で話をしていました。
「おじさん、どうしたの?」と訊くと、
「日本が戦争に負けたんだって」
「そうか、負けたのか‥」
「何処へ行くんだ?」
「おふくろさんと妹が玉川の星野さんところへ疎開しているから、これから行くんだよ」
「そうか、けどもう戦争は終わったから、もう行かなくてもいいんだよ」
なんて、会話があったそうです。
2011年12月01日
寒くなりましたですな(vol.227)
12月の声を聞き、寒さがグンと迫ってきました。
そんなときは、やっぱりコレですな。

家業だった焼津港運送のトラックドライバー佐々木さんからの贈り物。
佐々木さんとは、40年来のお付き合い。
氷雨が降る今夜は、水しぶきをあげて走り去る車の音を聞きながら、ぽつりぽつりと飲(や)っています。
そんなときは、やっぱりコレですな。
家業だった焼津港運送のトラックドライバー佐々木さんからの贈り物。
佐々木さんとは、40年来のお付き合い。
氷雨が降る今夜は、水しぶきをあげて走り去る車の音を聞きながら、ぽつりぽつりと飲(や)っています。
2011年11月28日
橋本新大阪市長のいう“独裁者”(vol.226)
昨夜、橋本大阪新市長が誕生した。
橋本氏は、大阪府知事時代に「今こそ独裁者が必要だ」ということを壇上で発言し、眉を顰める人もあった。
戦国時代、今川義元公のころになると、今川氏は重臣との協議によって駿河国の方針などを決めた。
その点、隣国の支配者織田信長公ひとりの英断によって、義元公を桶狭間で破った。
混沌とした現代、橋本氏のいう“独裁者”を時代が求めているのかもしれない。
ただし、これもバランスの問題。かつてのルーマニア国と、それを統治した独裁者チャウシェスク(―名大統領で名をはせた時期もあった―)の顛末を忘れてはいけない。
橋本氏は、大阪府知事時代に「今こそ独裁者が必要だ」ということを壇上で発言し、眉を顰める人もあった。
戦国時代、今川義元公のころになると、今川氏は重臣との協議によって駿河国の方針などを決めた。
その点、隣国の支配者織田信長公ひとりの英断によって、義元公を桶狭間で破った。
混沌とした現代、橋本氏のいう“独裁者”を時代が求めているのかもしれない。
ただし、これもバランスの問題。かつてのルーマニア国と、それを統治した独裁者チャウシェスク(―名大統領で名をはせた時期もあった―)の顛末を忘れてはいけない。
2011年11月27日
福島県の四倉ふれあい市民会議さん来静(vol.225)
昨夜、しずおか食の未来実現会議(代表 上川陽子氏)さんが、四倉ふれあい市民会議(代表 佐藤雄二氏)の会員14名の方を呼び、交流会が開催されました。
四倉ふれあい市民会議は、被災地四倉地区(いわき市)の将来像の策定・復興を目的に設立されました。
当日、四倉からやって来られたご一行は、静岡産業フェアを視察後、交流会に参加しました。
交流会では、フェア出展のシラスを見て「いわきでもシラスが揚がるんだが、売ることが出来ないんだよ」という胸のうちが明かされ、また、「福島の紅葉は素晴らしいのだが、静岡を訪れて、今年はじめて紅葉を目にしました」など、現地の実情などを伺い知ることができました。
被災地への支援は、まだまだ不足しているようです。席上、上川陽子代表が言われたように、「狭い日本国内での支え合い」「親戚以上のつきあい」が必要だと思いました。
福島ファンクラブ会員(―数年前にインターネットにて登録―)でもある私は、これからも福島を応援してゆきます。
四倉ふれあい市民会議は、被災地四倉地区(いわき市)の将来像の策定・復興を目的に設立されました。
当日、四倉からやって来られたご一行は、静岡産業フェアを視察後、交流会に参加しました。
交流会では、フェア出展のシラスを見て「いわきでもシラスが揚がるんだが、売ることが出来ないんだよ」という胸のうちが明かされ、また、「福島の紅葉は素晴らしいのだが、静岡を訪れて、今年はじめて紅葉を目にしました」など、現地の実情などを伺い知ることができました。
被災地への支援は、まだまだ不足しているようです。席上、上川陽子代表が言われたように、「狭い日本国内での支え合い」「親戚以上のつきあい」が必要だと思いました。
福島ファンクラブ会員(―数年前にインターネットにて登録―)でもある私は、これからも福島を応援してゆきます。
2011年11月21日
なかなかのハードパンチャー(vol.224)
娘のことです。
夜中に、ハートのグローブから繰り出すアッパーを2発、あごに喰らいました。
それでも父はダウンを許されず、朝まで添い寝を続けました。
ちなみにこれは、父愛用のメキシコ製グローブ「カサノバ」。
2011年11月19日
玉川の城山橋(vol.223)
玉川の長妻田と柿島の境に「城山橋」という小さな橋がある。
この橋の近くには、辺り一帯を支配していた朝倉氏の館があった。
戦国時代、大名クラスでは武田氏、今川氏がそうであったように、柿島の朝倉氏も普段は館で過ごし、有事の際には、裏手の山に築いた城に篭もったようだ。

この橋の近くには、辺り一帯を支配していた朝倉氏の館があった。
戦国時代、大名クラスでは武田氏、今川氏がそうであったように、柿島の朝倉氏も普段は館で過ごし、有事の際には、裏手の山に築いた城に篭もったようだ。
2011年11月18日
平野雅彦先生の手帳のおはなし(vol.222)
紺屋町地下街にある伊太利亭で、平野雅彦先生(静岡大学、東海短期大学講師)による「平野流 手帳のはなし、情報管理のはなし」講座が行われました。
先生の「手帳遍歴」「スケジュール情報管理」「スケジュール帳・手帳・ノートの遊び方、使い方」といった項目で、講座は進められました。
自分にとってベストな情報管理は何か――必ずしも万人にとってやり易いというものはない。自分はこれが一番と思っていても、人によってはそれが苦痛な場合もあるのだ、といった前提がありながらも、心理学にもかなった先生の仕方は、とってもユニークなものでした。

先生の講座の楽しみのひとつはそのレジュメ。
さらっと書いた“手作りレジュメ”なのである。
先生の「手帳遍歴」「スケジュール情報管理」「スケジュール帳・手帳・ノートの遊び方、使い方」といった項目で、講座は進められました。
自分にとってベストな情報管理は何か――必ずしも万人にとってやり易いというものはない。自分はこれが一番と思っていても、人によってはそれが苦痛な場合もあるのだ、といった前提がありながらも、心理学にもかなった先生の仕方は、とってもユニークなものでした。
先生の講座の楽しみのひとつはそのレジュメ。
さらっと書いた“手作りレジュメ”なのである。
2011年11月09日
柿島の地蔵堂(vol.221)
その昔、安倍街道をゆく木枯しの紋次郎が、このお堂で一夜を明かしたのかもしれません。
上州新田郡(にったごおり)三日月村の
貧しい農家に生まれたという
十歳の時に故郷を捨て
その後、一家は離散したと
伝えられる
天涯孤独な紋次郎が
なぜ無宿渡世の世界に入ったかは
定かではない
2011年11月08日
今日は立冬(vol.220)
画像は、玉川小学校グランドから見た月です。
白鬚神社(―画像右側の山上が社殿―)の木立を縫って、団々と昇ってゆきます。
また一見、お月さんがお宮参りをしているようにも見えませんか?
一昨日、玉川小学校グランドを発着点とした、第1回玉川トレイルレースが行われました。
そして、昨日、静岡第一テレビ放送の「エブリィ静岡」(18:15~)でこの様子が放送されましたが、番組中、玉川地区地域支援員の服部俊介さんが、「玉川には山しかない。そこで、トレイルレースをしようと思い立った」と言われました。
整備されたトレイルレースのコースは、これから毎年行われる同大会のコースとして利用されますが、普段は、トレッキングコースとして利用されます。
このトレッキングコースは、玉川地区へ人を呼ぶ「玉川の名物」となるでしょう。
今日は、立冬―。
これからは、夜空が澄みわたる“天体の季節”でもあります。
冒頭の月を撮影したとき、「ここから望む月、これは玉川の名物だ」と思いました(―玉川には、見月山という山もあるくらいですから―)。
車中、アンドレ・ギャニオンの『夕暮れから』を聴きながら、みなさんも月夜の玉川を訪れてみてはいかがでしょう。
2011年11月01日
ご飯に添えた生姜の漬物(vol.219)
私の晩ごはん、ワンプレートに盛ったのは、卯の花、小樽で手に入れた冷酒グラスには地酒の杉錦…。
銀シャリに添えた漬物は、生姜の甘煮に生姜の梅酢漬け。
生姜2品は、玉川地区内匠の和田さん(眞明・なおみ夫妻)からの頂き物です。
この生姜は私の元気の源です。
朝ご飯に生姜を添えて食べると、元気が百倍!!
特にこれからの季節には欠かせません。
和田さんは、週末に葵区牛妻の「安倍ごころ」の軒先に出店します。
漬物などの食品のほか、布ぞうりや、シャレたミサンガなども扱います。
2011年10月31日
玉川小学校の鈴懸の木(vol.218)
桂山にある玉小学校の鈴懸の木(洋名 プラタナス)が色づきました。
ご覧のとおり、現在玉川小学校の校庭には4本の鈴懸の木がありますが(―画像では5本に見えますが、右側の4本が鈴懸の木、左側の1本が銀杏の木です―)、これらの木の間隔は10メートル間隔です。
これは、メートル法が施行された大正時代に、子ども達が早くメートルに馴染むようにと植えられたものでした。
もともとは、10本あったのですが、その経緯については来月発行される「玉川新聞 秋号」(発行者:安倍奥の会)に掲載しました。どうぞご覧ください。
2011年10月18日
娘のこと(vol.217)
今月6日、娘を授かった。
46歳にしてである。
さて、名前をなににしようか…。
と思いや考えを巡らすのは親の常で、また義務(あるいは責任)でもある。
私たち夫婦が娘につけた名は「美里」である。
里ざとの木々が色づきはじめる、美しい季節に生まれた子――。
震災で否応なく思い知らされたふるさとの尊さ。私たちの美しいふるさとがずっと続きますように――。
などの思いを込めての命名となった。

出生時、身長51センチ、体重3555グラムの大きな赤ちゃんでした。
46歳にしてである。
さて、名前をなににしようか…。
と思いや考えを巡らすのは親の常で、また義務(あるいは責任)でもある。
私たち夫婦が娘につけた名は「美里」である。
里ざとの木々が色づきはじめる、美しい季節に生まれた子――。
震災で否応なく思い知らされたふるさとの尊さ。私たちの美しいふるさとがずっと続きますように――。
などの思いを込めての命名となった。
出生時、身長51センチ、体重3555グラムの大きな赤ちゃんでした。
2011年10月15日
父のこと(vol.216)
今日、10月15日は、私の父、祐一の命日である。
父が逝って、43年が経つ。
生前の父の記憶を辿ると、夜、布団にうつ伏せになって、本を読んでいたことが思い出される。
その本を覗くと“桜に碇”模様の、七つ釦の青年の写真が載っていた。
父は、特攻隊の志願兵だったので、当時を振り返ってのことだった。
今改めて父の本棚を見ると、大東亜戦争を扱った書籍のほか、『燃えよ剣』『国盗り物語』など、司馬遼太郎先生の書籍がならんでいる。
私が『安倍七騎』を著したことには、亡父の影響が多分にあったことは間違いない。

父の膝に座る私
父が逝って、43年が経つ。
生前の父の記憶を辿ると、夜、布団にうつ伏せになって、本を読んでいたことが思い出される。
その本を覗くと“桜に碇”模様の、七つ釦の青年の写真が載っていた。
父は、特攻隊の志願兵だったので、当時を振り返ってのことだった。
今改めて父の本棚を見ると、大東亜戦争を扱った書籍のほか、『燃えよ剣』『国盗り物語』など、司馬遼太郎先生の書籍がならんでいる。
私が『安倍七騎』を著したことには、亡父の影響が多分にあったことは間違いない。
父の膝に座る私
2011年10月12日
2011年10月08日
航跡に思う(vol.214)
駿河湾フェリーで、土肥港を離れるときに撮影しました。
土肥港は、私が静岡県港湾課在籍時代に3年間担当した港湾で、思い出のある港のひとつです。
天正時代、土肥は金を産出したところです。
ここは富永氏という水軍の根城だったところですが、この富永一党は羽振りのよい水軍だったようです。
一方、同じ西伊豆海岸の雲見にいた高橋という水軍の親方は貧乏で、
丹波殿 女房を質に ご出陣
といったうたがあるほどです。
さて、この日10月7日の土肥行きは、駿河湾海上交通活性化協議会(靭矢雅浩会長・静岡市経済局長)に出席するためでした。魅力のある歴史文化を発信して、土肥に旅客が訪れるようにすることも、駿河湾海上交通に大事なことと思われます。
2011年09月14日
夜っぴとい神楽(vol.213)
9月11日(日)、静岡市立玉川小学校で、「第8回 夜っぴとい神楽」が開催されました。
年は横沢神楽保存会(葵区横沢、江川進会長)が当番の年でした。横沢神楽保存会のほか、静岡市では清沢神楽保存会、有東木芸能保存会、大日神楽保存会が参加。ほか、川根本町、島田市、藤枝市から各保存会が参加しました。
地域に根ざした伝統芸能を、後世に残したいという演者のみなさんの意気込みを感じました。
今から来年のお神楽が楽しみです。



年は横沢神楽保存会(葵区横沢、江川進会長)が当番の年でした。横沢神楽保存会のほか、静岡市では清沢神楽保存会、有東木芸能保存会、大日神楽保存会が参加。ほか、川根本町、島田市、藤枝市から各保存会が参加しました。
地域に根ざした伝統芸能を、後世に残したいという演者のみなさんの意気込みを感じました。
今から来年のお神楽が楽しみです。
2011年08月26日
静岡初 玉川トレイルレース in しずおか(vol.212)
標記イベントが安倍奥玉川で開催されます(主催:玉川トレイルレースinしずおか実行委員会、後援:静岡市、静岡市教育委員会、協賛:㈱ニューバランスジャパン、HI-TEC(ハイテック)、C3FIT(シースリーフィット)、協力:㈱スポーツショップ アラジンNPO法人M-NOP)。
詳細は下記のとおりですが、前夜祭として、『玉川の郷土料理』をベースにしたウエルカムパーティーが開催され、競技も然ることながら、お祭り気分も満載です。
静岡市内には、トレイルレースの日本チャンピオン望月将悟さんがおります。
拙著『安倍七騎』の第一章「安倍 筒野城」では、安倍の山河を駆ける望月四郎右衛門が登場しますが、そのシーンと重ね見ることができます。
その「望月」という名前のとおり、彼も『安倍七騎』に登場する望月四郎右衛門と同流の人のようです。
記
【とき】
2011年11月6日(日) *暴風雨以外は雨天決行
【会場・受付場所】
静岡市立玉川小学校
【受付時間】
11月6日(土)15:00~18:00
11月6日(日)6:00~7:30
【スタート】
〇大棚山コース8:00
〇打越峠コース8:30
【ゴール閉鎖】
16:00(途中、関門地点でタイムチェックあり。関門通貨時間オーバーの場合その場で競技終了となります)
【表彰式】
14:00開始予定
【参加費】
大棚山コース6,000円
打越峠コース4,000円
*プログラム郵送希望200円(プログラムはイベントの約1週間前からweb公開します)
【表彰等】
各クラス上位3名のほか、参加賞として桧のメダルと本場静岡の本山茶をプレゼント。
お楽しみ抽選会もあります。
【義援金】
東日本大震災被災地域に義援金を送るため、趣旨賛同の方には申込書の該当欄にチェックを入れていただき、参加費等のほか、1,000円を追加して、お申込みいただきます。
【大会URL】
http://homepage2.nifty.com/MNOP/event/tamagawa2011.htm
【クラス分け】
〇大棚山コース
距離:36km/定員:300名/標高差:850m/累積標高差:2500m/[クラス詳細]男子A:18~35歳、男子B:36~45歳、男子C:46~55歳、男子D:56歳以上、女子E:18~45歳、女子F:46歳以上
*参加資格は大学生以上。優勝タイム3時間以上のトレイルランニング大会もしくはフルマラソンの完走経験を有すること。またはそれ相当の実力を有すること(主催者側では実績は審査しませんが、厳しいコースですので、ご自身の実力を充分考慮のうえ、お申込みください。)。
〇打越峠コース
距離:14km/定員:200名/標高差:520m/累積標高差:600m/[クラス詳細]K:男子、L:女子
*参加資格は高校生以上。上記コースの完走に充分な気力体力を有すること。
【申込み方法】
以下の3つの方法があります。
1webエントリー
ランナーズのweb(http://www.runnet.jp/runtes/)よりお申込みください。参加料のお支払いは、ランナーズ指定の口座引落し、コンビ二支払い、クレジット、郵便振替がご利用いただけます。
2ファックス
054-275-3217(玉川トレイルレース実行委員会)
3郵送
〒420-0871 静岡市葵区昭府1-8-54
玉川トレイルレース実行委員会(スポーツショップアラジン静岡店内)
〇2、3の場合は「申込用紙」が必要となりますが、本ブログではご提供できませんので、実行委員会にお問合せください。
〇お申込みと参加料のお振込みを確認でき次第、エントリー完了となります。
〇振込先:静岡銀行本店 口座番号:1559846 口座名:玉川トレイルレースinしずおか 会長 狩野宏
【締め切り】
2011年9月末日
詳細は下記のとおりですが、前夜祭として、『玉川の郷土料理』をベースにしたウエルカムパーティーが開催され、競技も然ることながら、お祭り気分も満載です。
静岡市内には、トレイルレースの日本チャンピオン望月将悟さんがおります。
拙著『安倍七騎』の第一章「安倍 筒野城」では、安倍の山河を駆ける望月四郎右衛門が登場しますが、そのシーンと重ね見ることができます。
その「望月」という名前のとおり、彼も『安倍七騎』に登場する望月四郎右衛門と同流の人のようです。
記
【とき】
2011年11月6日(日) *暴風雨以外は雨天決行
【会場・受付場所】
静岡市立玉川小学校
【受付時間】
11月6日(土)15:00~18:00
11月6日(日)6:00~7:30
【スタート】
〇大棚山コース8:00
〇打越峠コース8:30
【ゴール閉鎖】
16:00(途中、関門地点でタイムチェックあり。関門通貨時間オーバーの場合その場で競技終了となります)
【表彰式】
14:00開始予定
【参加費】
大棚山コース6,000円
打越峠コース4,000円
*プログラム郵送希望200円(プログラムはイベントの約1週間前からweb公開します)
【表彰等】
各クラス上位3名のほか、参加賞として桧のメダルと本場静岡の本山茶をプレゼント。
お楽しみ抽選会もあります。
【義援金】
東日本大震災被災地域に義援金を送るため、趣旨賛同の方には申込書の該当欄にチェックを入れていただき、参加費等のほか、1,000円を追加して、お申込みいただきます。
【大会URL】
http://homepage2.nifty.com/MNOP/event/tamagawa2011.htm
【クラス分け】
〇大棚山コース
距離:36km/定員:300名/標高差:850m/累積標高差:2500m/[クラス詳細]男子A:18~35歳、男子B:36~45歳、男子C:46~55歳、男子D:56歳以上、女子E:18~45歳、女子F:46歳以上
*参加資格は大学生以上。優勝タイム3時間以上のトレイルランニング大会もしくはフルマラソンの完走経験を有すること。またはそれ相当の実力を有すること(主催者側では実績は審査しませんが、厳しいコースですので、ご自身の実力を充分考慮のうえ、お申込みください。)。
〇打越峠コース
距離:14km/定員:200名/標高差:520m/累積標高差:600m/[クラス詳細]K:男子、L:女子
*参加資格は高校生以上。上記コースの完走に充分な気力体力を有すること。
【申込み方法】
以下の3つの方法があります。
1webエントリー
ランナーズのweb(http://www.runnet.jp/runtes/)よりお申込みください。参加料のお支払いは、ランナーズ指定の口座引落し、コンビ二支払い、クレジット、郵便振替がご利用いただけます。
2ファックス
054-275-3217(玉川トレイルレース実行委員会)
3郵送
〒420-0871 静岡市葵区昭府1-8-54
玉川トレイルレース実行委員会(スポーツショップアラジン静岡店内)
〇2、3の場合は「申込用紙」が必要となりますが、本ブログではご提供できませんので、実行委員会にお問合せください。
〇お申込みと参加料のお振込みを確認でき次第、エントリー完了となります。
〇振込先:静岡銀行本店 口座番号:1559846 口座名:玉川トレイルレースinしずおか 会長 狩野宏
【締め切り】
2011年9月末日



