2012年02月26日
子どもに見せたくない番組(vol.233)
「子どもに見せたくない番組―― 国会中継」
と、新聞の「読者の広場」にあった。
これには共感するものがある。
討議というよりも、“悪口”“貶(けなし)しあい”にとれるから、ということだ。
和(話)を以って尊しとなす
わが国の立法の祖、聖徳太子の言葉を、忘れてはならない!!
と、新聞の「読者の広場」にあった。
これには共感するものがある。
討議というよりも、“悪口”“貶(けなし)しあい”にとれるから、ということだ。
和(話)を以って尊しとなす
わが国の立法の祖、聖徳太子の言葉を、忘れてはならない!!
Posted by 安倍七騎 at
20:32
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2012年02月18日
小説 友任哀史 ―ともどう・あいし― (vol.232)
ときは永禄年間――。
ひっそりと寝静まりかえった安倍奥玉川の奥池ヶ谷城界隈は、摺墨(するすみ)を押し流したかのような闇夜であった。この戦国の山城の脇をはしる安倍街道は、北辺の甲斐の虎、武田信玄入道に不穏な動きあらば、駿府の今川氏真邸に早馬を飛ばす軍用道路である。
その道を粛々とおし進み、城の大手口を取り囲む一団があった。馬口に食ませた枚(ばい)を解いたか、その嘶きと共に城門を打ち破る槌音が鳴り渡る――。
すわ、ふいを衝かれた城主友任は、寝所の戸板を蹴破って庭に立つと、家来どもを城の要所要所へと差配し、自らも弓をつがえて、修羅の鬼と化した。しかし、箙(えびら)に束ねた矢数を上回る敵勢である。やがて矢が尽き剣も折れると、妻子、家来をうち連れて城裏手口から脱した。が、友任一行のその先を清流中河内の流れが阻んでいる。ときを待たず追手が迫るは必定であった。友任は我が命には諦めがつくが、不憫に思うは妻の胸に抱かれた赤子であった。一計を案じた友任は、妻に中河内川の浅瀬を指し示してこれを渡らせると、残兵(ざんぺい)に鬨(とき)の声を上げさせて、嫡子(ちゃくし)とともに川上へと遁(はし)った。
その後、友任は川上の仙俣村で切腹。嫡子はその手前の栗駒で敵の刃にかかった。
爾来、嫡子討ち死にの栗駒の森を“御曹司の森”と云い、父の願い叶わず水没した赤子の淵を“赤子淵”と呼ぶ。
―― 了 ――