2010年04月22日

山西の話をしてきました(vol.172)

20日の火曜日には、焼津グランドホテルにて、焼津南ロータリークラブ様の例会がありました。

2月から5月まで、毎月1回のペースで卓話をさせてもらいますが、今回は第3回目ということで、「安倍七騎が馳せた時代―我が郷土山西のこと―」と題しお話をいたしました。

この山西ということばは、山の西側ということで、現在の静岡市と焼津市の境にある山「高草山」の西側という意味で、戦国時代には現在の藤枝市、焼津市域をこう呼びました。

また、焼津の地名の謂われ―益津の焼津への転訛説、日本武尊に因んだ説―についてもお話をしましたが、どちらがもっともらしいかの手がかりは、以外にも江戸時代に奥藁科について書かれた書物のなかにあったと、紹介しました。



  


Posted by 安倍七騎 at 00:23Comments(0)徒然

2010年04月18日

早朝の倉庫群(vol.171)

早朝、清水港付近の倉庫群の写真をとりました。








いわゆる安倍七騎の末裔といわれる人のなかには、清水港を拠点に活躍した(―あるいは、今も活躍されている―)人がいます。

海野孝三郎氏…明治期、県会議員をつとめ、また、静岡茶を初めて海外に輸出した人です。お茶の輸出にあたり、お茶の質の向上にも尽力しました。

望月兄弟社…今のアオキトランス㈱の前身です。江戸期、安倍七騎望月四郎右衛門と同系の方がはじめました。今も取締役会長は望月氏です。  


Posted by 安倍七騎 at 18:54Comments(0)徒然

2010年04月14日

今年の「坂本愛郷の会」の活動は…(vol.170)

11日(日)には、奥藁科の坂本公民館にて、「坂本愛郷の会」(山田唯夫会長はじめ、会員17名)の総会がありました。



総会は午後1時からはじまり、総会の後は自然と歓談にながれて3時ごろお開きとなりました。

今年は、米沢官女が名馬「磨墨」を源頼朝の家来に引き出すために通ったと云われる、「肱打峠」(葵区坂の上)の整備なども手掛ける模様です。
この峠は、肱(ひじ)をつかないと登れないことからその名がついたとも、また、峠が「四十一のつづら折」であるため、「しじゅういち」→「ひじうち」と転訛したとも云われています。



帰りは、藁科から朝比奈へと山越えをして、野田沢集落へ抜けました。



野田沢川畔の枝垂れ桜



岡部の殿は蓮華が咲き乱れておりました。
この殿という地名は、今川家の有力家臣であった朝比奈氏が居たことにより、この名がつきました。  


Posted by 安倍七騎 at 21:23Comments(0)徒然

2010年04月08日

地場の逸品(vol.169)

今週の日曜日、栃沢へ行きましたが、途中、県道362号線沿いにある「わらびこ」に立ち寄りました。
週末になると、近くの人たちが市を開き、農作業具、被服、地元ならではの食べ物などを販売しているようで、「いのしし飯」と「焼餅」をお土産に買いました。



美味しかった「いのしし飯」と「焼餅」。
いずれもずっしりとした手抜きのない逸品。
やっぱり食べ物も“手ごたえ”(―食べごたえ―)がないとね!!  


Posted by 安倍七騎 at 23:39Comments(0)徒然

2010年04月04日

栃沢のお茶会(vol.168)

本日4日(日)、奥藁科は栃沢のお茶会(主催:大川お茶まつり実行委員会)に行ってきました。今年は、県知事さんもお見えになったそうで、こういった地域の活動が認められていることを、嬉しく思いました。




龍珠院会場でのお茶会の様子。亭主は内野清己さん。



かつて名主家だった米沢家と枝垂れ桜。今年はお茶会の日にあわせたように、見事に咲き誇っていました。  


Posted by 安倍七騎 at 22:20Comments(0)催事