2010年04月22日
山西の話をしてきました(vol.172)
20日の火曜日には、焼津グランドホテルにて、焼津南ロータリークラブ様の例会がありました。
2月から5月まで、毎月1回のペースで卓話をさせてもらいますが、今回は第3回目ということで、「安倍七騎が馳せた時代―我が郷土山西のこと―」と題しお話をいたしました。
この山西ということばは、山の西側ということで、現在の静岡市と焼津市の境にある山「高草山」の西側という意味で、戦国時代には現在の藤枝市、焼津市域をこう呼びました。
また、焼津の地名の謂われ―益津の焼津への転訛説、日本武尊に因んだ説―についてもお話をしましたが、どちらがもっともらしいかの手がかりは、以外にも江戸時代に奥藁科について書かれた書物のなかにあったと、紹介しました。


2月から5月まで、毎月1回のペースで卓話をさせてもらいますが、今回は第3回目ということで、「安倍七騎が馳せた時代―我が郷土山西のこと―」と題しお話をいたしました。
この山西ということばは、山の西側ということで、現在の静岡市と焼津市の境にある山「高草山」の西側という意味で、戦国時代には現在の藤枝市、焼津市域をこう呼びました。
また、焼津の地名の謂われ―益津の焼津への転訛説、日本武尊に因んだ説―についてもお話をしましたが、どちらがもっともらしいかの手がかりは、以外にも江戸時代に奥藁科について書かれた書物のなかにあったと、紹介しました。
山神考―yamagami-koh― (vol.236)
小説 友任哀史 ―ともどう・あいし― (vol.232)
浪人坂のお話など(vol.231)
寒くなりましたですな(vol.227)
橋本新大阪市長のいう“独裁者”(vol.226)
福島県の四倉ふれあい市民会議さん来静(vol.225)
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Posted by 安倍七騎 at 00:23│Comments(0)
│徒然
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