2012年01月21日
浪人坂のお話など(vol.231)
今日は藤枝市は野田沢(のたんざわ・旧志太郡岡部町)にある増田辨之助(昭和3年生まれ:ますだ・べんのすけ)さんのお宅を訪ねた。増田さんは、『安倍七騎』初版発行後すぐに拙宅に電話をくれ、本を買い求めてくれた方。だから、5~6年前からのお付き合いになる。
午後3時、小雨にけむるなか、野田沢に架かる赤い小橋をこえ、増田さん宅を訪れた。
玄関引き戸を開けるとそこは土間、土間の左手が客間、客間の右が居間といった日本古来の佇まいの住宅である。
増田さん宅でのお話―。
・この岡部の殿(との:拙著『安倍七騎』に登場する朝比奈氏の菩提寺があるところ)と静岡の飯間(はんま:藁科川沿いにあった小瀬戸城の兵を養うために“ご飯”をつくったところ)を結ぶ野田沢の道の歴史は古い。徳川家康が駿府城入城にあたり、通ったとされる道でもある。
・この道沿いに「義経のかくれ石」があったが、道の拡張整備にあたり、方丈さんによるお祓いののち、土中に埋められた。
・その昔、ひとりの浪人かこの道を行くと、侍ふたりと決闘となり―ふたりに前後をはさまれたのち―斬られた。その“ローニンさん”を村人が介抱したとき、おのれの死を悟った“ローニンさん”は「ここで(―斬られた場所で―)何事があっても怪我はさせない」と言い、しばらくののち死んだという。その言葉のとおり、そこの坂「浪人坂」では怪我がでないといわれている。増田さんの弟さんも、ここで若いドライバーが運転する乗用車と衝突したが、無事に済んだという。
かれこれ小一時間、こんな話に花が咲いた。
赤い小橋のたもとに実った真っ赤な南天の実
増田さんのお宅
並んだ養蜂箱の右手(野田沢の下流側)に「義経のかくれ石」が埋まっている
ローニンさんのお墓。今も村人による香華が絶えない
お墓に刻まれた文字(90度回転で見てください)
午後3時、小雨にけむるなか、野田沢に架かる赤い小橋をこえ、増田さん宅を訪れた。
玄関引き戸を開けるとそこは土間、土間の左手が客間、客間の右が居間といった日本古来の佇まいの住宅である。
増田さん宅でのお話―。
・この岡部の殿(との:拙著『安倍七騎』に登場する朝比奈氏の菩提寺があるところ)と静岡の飯間(はんま:藁科川沿いにあった小瀬戸城の兵を養うために“ご飯”をつくったところ)を結ぶ野田沢の道の歴史は古い。徳川家康が駿府城入城にあたり、通ったとされる道でもある。
・この道沿いに「義経のかくれ石」があったが、道の拡張整備にあたり、方丈さんによるお祓いののち、土中に埋められた。
・その昔、ひとりの浪人かこの道を行くと、侍ふたりと決闘となり―ふたりに前後をはさまれたのち―斬られた。その“ローニンさん”を村人が介抱したとき、おのれの死を悟った“ローニンさん”は「ここで(―斬られた場所で―)何事があっても怪我はさせない」と言い、しばらくののち死んだという。その言葉のとおり、そこの坂「浪人坂」では怪我がでないといわれている。増田さんの弟さんも、ここで若いドライバーが運転する乗用車と衝突したが、無事に済んだという。
かれこれ小一時間、こんな話に花が咲いた。
赤い小橋のたもとに実った真っ赤な南天の実
増田さんのお宅
並んだ養蜂箱の右手(野田沢の下流側)に「義経のかくれ石」が埋まっている
ローニンさんのお墓。今も村人による香華が絶えない
お墓に刻まれた文字(90度回転で見てください)
山神考―yamagami-koh― (vol.236)
小説 友任哀史 ―ともどう・あいし― (vol.232)
寒くなりましたですな(vol.227)
橋本新大阪市長のいう“独裁者”(vol.226)
福島県の四倉ふれあい市民会議さん来静(vol.225)
なかなかのハードパンチャー(vol.224)
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Posted by 安倍七騎 at 20:03│Comments(0)
│徒然
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