2011年05月25日
志摩へいきました(vol.203)
5月20日から22日にかけて、お伊勢参りに出かけました。
宿は、お伊勢さんから車で40分ほど南下した志摩の賢島にしましたが、宿の仲居さんに聞いたところ、「国府というところには向井姓が多い」と言いました。
なぜ、向井姓について聞いたかというと、拙著『安倍七騎』に出てくる向井兵庫(武田水軍)は、こちらの出身なので、聞いてみました。
鳥羽港に近くには、九鬼水軍にまつわる神社もありました。

賢島の宿からの景色
かつて、この穏かな海を九鬼、向井らの水軍が縄張りにしていた。

鳥羽の海
伊勢湾フェリーから撮影
宿は、お伊勢さんから車で40分ほど南下した志摩の賢島にしましたが、宿の仲居さんに聞いたところ、「国府というところには向井姓が多い」と言いました。
なぜ、向井姓について聞いたかというと、拙著『安倍七騎』に出てくる向井兵庫(武田水軍)は、こちらの出身なので、聞いてみました。
鳥羽港に近くには、九鬼水軍にまつわる神社もありました。
賢島の宿からの景色
かつて、この穏かな海を九鬼、向井らの水軍が縄張りにしていた。
鳥羽の海
伊勢湾フェリーから撮影
2011年05月16日
大河ドラマに出るかも!?(vol.202)
拙著『安倍七騎』に、朝倉在重という柿島村名主が出てきます。
『清らなる山河 新玉川村誌』(昭和43年 安倍郡玉川村発行)によりますと、柿島にやって来た朝倉氏の初代が景高、二代が在重、そして、三代に宣正となっております。
今年のNHK大河ドラマの主人公はお江ですが、三代目の宣正という人は、お江の子、国松(のちの徳川忠長)の傅役をつとめた人でした。また、宣正の娘のお清は、国松の乳母だった人です。
今年の大河ドラマには、姫君を取巻く多くの人が登場するので、ひょっとすると、このふたりが登場するかもしれませんね。

左から2番目が、朝倉宣正のお墓(葵区柿島)

朝倉家墓所のある高台から、朝倉邸跡を望む。
朝倉家の歴代のご先祖が、長い間、朝倉氏を見守ってきたのでしょう。
『清らなる山河 新玉川村誌』(昭和43年 安倍郡玉川村発行)によりますと、柿島にやって来た朝倉氏の初代が景高、二代が在重、そして、三代に宣正となっております。
今年のNHK大河ドラマの主人公はお江ですが、三代目の宣正という人は、お江の子、国松(のちの徳川忠長)の傅役をつとめた人でした。また、宣正の娘のお清は、国松の乳母だった人です。
今年の大河ドラマには、姫君を取巻く多くの人が登場するので、ひょっとすると、このふたりが登場するかもしれませんね。
左から2番目が、朝倉宣正のお墓(葵区柿島)
朝倉家墓所のある高台から、朝倉邸跡を望む。
朝倉家の歴代のご先祖が、長い間、朝倉氏を見守ってきたのでしょう。