2008年04月29日

我が焼津の八丁櫓(vol.38)

4月13日(日)、この日は「やいづ港祭り」がありました。
会場は焼津旧港で、私の家から自転車で、10分ほどで行けます。雨も心配されましたが、この日は晴天に恵まれました。

このイベントでは、いくつもの露店が立ち並び、また、歌あり、踊りありで、とても賑やかなものでした。

さらに港内では、「八丁櫓(はっちょうろ)」という手漕ぎ舟の乗船ができ、乗船した子供達にとっては、とても良い思い出となったことでしょう。

この八丁櫓は、櫓が左右両舷に四丁ずつ据えられたいわゆる「小早(こはや)」といわれる動きの早い小舟の一種です。

拙著『安倍七騎』に、武田の軍艦として、「安宅船(あたけぶね)」が登場します(p125)。これは、50丁ほどの櫓で漕ぐ大きな軍船ですが、いざ海戦となれば、これを取巻くようにして、何隻もの八丁櫓が駿河湾を行き来したと考えられます。

やがて、13年間に及ぶ武田の駿河統治の時代が終わり、さらに織豊時代を経て、徳川の世となりますが、この土地に根付いた水軍兵らは漁師となって、動きの早い鰹(かつお)を、みごとな櫓さばきで追いかけます。

時は江戸時代――。治世安寧をはかる世となり、速度の出せる漁船八丁櫓の建造・使用が禁止となります。これにより、「八丁櫓」のことを、「法度櫓(はっとろ)」と呼ばれるようになります。

しかし、焼津では八丁櫓の建造・使用が何らかの理由により許され(田中城周辺に鷹狩りに来た大御所家康公を海上から警備したことが起源だと考えられます)、江戸時代も鰹漁で活躍します。

平成の現在、八丁櫓は漁船として使われることはなくなりましたが、折々のイベントで今もなお焼津で活躍しています。




「やいづ港祭り」での八丁櫓乗船の様子
  


Posted by 安倍七騎 at 00:16Comments(0)催事

2008年04月25日

父とコリーと私(vol.37)

先日、インターネットで、叔父のホームページ「JAPAN TOP FAMILY」を検索しました。このホームページ名にある「ジャパントップ」とは、コリー犬の展覧会で使われる叔父の犬舎号でもあります。

その中にある「 About of “JAPAN TOP ”」を開くと、「1970年、兄の遺志を継ぎ云々……」とあり、私の父の遺志を継いで、優れたコリー犬の作出を目指す――、といったことが書かれていました。また、そこの画像は、幼い頃の姉と私、それから、2匹のコリーが写っていました。これは、私が初めて目にする画像でした。

―― へぇ、こんな頃があったんだなぁ……、

と、四十年ほど前を懐かしく振り返る一枚の画像でした。

「で、息子のあなたはコリーを飼わないの?」という問いには、「うん、自分の世話で手一杯なの・・」と、情けない言葉を返すことにしています。

コリーをはじめ、犬や猫などはかわいいですね。けれど、私はアレルギー体質で、懇(ねんご)ろに、これらとスキンシップをとると、目や鼻の穴が痒くなってしまうといった始末。これにはちょっとお手上げで、非常にもどかしいです。

ちょっと、父の話をします。
父は、大のコリー好きした。どれくらいコリーが好きかというと、新婚当時、母から80万円の借金をして、アメリカからコリーを輸入したそうです。私は子供心にも、父のコリーに対する温かい愛情を、いっぱい感じ取ることが出来ました。そんな父の犬舎号は、「プレーン・ソレイル」(「太陽がいっぱい」)でした。

父は、稼業の運送会社の仕事を終えると、「克典、コリーの散歩に行くぞ」と言い、私をスクーターに乗せて、東益津の田中の畦道を走りました。畦道のあちこちには、水溜りがあって、蚊柱があちこちに立っていました。コリーのリードをとり、小道をくねくねと走っていると、父は「あっ、鼻に蚊が入ったッ!!」と言っておかしな顔をし、私を笑わせたものでした。

  山田の中の一本足の案山子 天気のよいのに 蓑笠付けて 朝から晩まで
  ただ立ち通し 歩けないのか 山田の案山子

なんて童謡を歌いながらの犬のお散歩でした。

当時、「トライ」という、白と黒と茶の毛色のジャスパーは賢い犬で、メモと財布を入れた買い物篭を口にくわえてお買い物をする犬でした。

ジャスパーにネービー……、ウ~ン、懐かしいなぁ。



私が2歳の頃まで住んでいた家です(焼津市焼津)。土間ですね。左に父が写っています。



お気に入りのワンショット。親犬の優しい眼差しがいいですね。


  


Posted by 安倍七騎 at 00:31Comments(2)徒然

2008年04月21日

遠野行の思い出(vol.36)

桜前線は、今ごろ南東北(「みなみ・とうほく」 ―― ルビをふらないと、ややこしいですなぁ・・)あたりでしょうか。

平成5年5月5日、私は、桜を見に、2泊3日で岩手県は遠野へ行きました。遠野は桜の名所と云うよりは、民話のふる里といった感があります。むしろ、東北の桜というと、青森県の「弘前(城)公園」、秋田県の「桧木川堤」などの桜名所がありますが、どうもこれらは桜を見るというよりも、人の波を見るような気がして、静かな遠野へ行くことにしました。 

あの年、Kビールのテレビコマーシャルで、俳優の仲代達矢さんが桜を愛でるといったシーンがあり、バックには、井上陽水さんの「5月の別れ」という名曲が流れていました。

  ―― お、ちょっと、あんな感じもいいじゃないか ――、などとその気になって、
  ・・ちょっと桜を見に・・、なんて一人旅とシャレ込みました。

この旅で、地元の佐々木悦男さんという方と知り合いました(知り合った当時、土建業を営んでいた方ですが、昨年、有機栽培によるりんご農家ということで、NHKのテレビ番組 (「プロフェッショナル」だったかな?) に出ていました)。

私が、ご当地の観光名所のひとつとなっている「程洞のお稲荷様」へ行き、そこでスケッチをしていると、境内の脇で桜の倒木になめこ菌を植え付けている人がいました。その人が気さくに、
「おい旅の衆、手伝ってみんか? なめこがなったら送ってやるよ」
と、声をかけてくれ、それが佐々木さんでした。
私もこんな経験はめったにできないと、
「はい、やらせてください」
と答えました。

その作業は、まず、電動ドリルで木に2~3センチほどの穴をあけ、その穴に、円柱状のなめこ菌を、木槌でトントンと植え込んでいくといった作業でした。私は佐々木さんから、
「まぁ、飲みながらやんなよ」
と言われ、紙コップのそれをグイと飲みほし(焼酎の水割りでした)、クラクラしながらの作業となりました。

そのあと、佐々木さんに、日本十大民家のひとつである「南部曲り家 千葉家」を案内してもらい、それから夜は、「つづき石」、「花舎」というお店でお酒をご馳走になりました。

私は、遠野の民話の知識を、 『遠野物語』(佐々木喜善(ささき・きぜん)氏の語る遠野の民話をまとめた、柳田國男先生の著書)であらかじめ仕入れておいたのですが、土地の人からじかに聞く遠野の民話は、また身にせまるものがあり、特に、河童の話は印象深いものでした。

その河童の話とは――、

沢里某と云う70歳位の人(遠野市土渕に在住)が、常堅寺(じょうけんじ)と云うお寺の前にある河童淵で河童を見たとか――。

また、最近(平成5年当時)、この河童淵で子供が溺れ死んだが、これは河童のシワザに違いないとか(あのとき、私が見た河童淵はとっても浅かった)――。

・・・ 河童淵ちかくにある常堅寺の狛犬は、実にユーモラスでした。このお寺の狛犬の頭にはお皿があります。河童のお皿があるのです。その昔、お寺が火事になったとき、お寺の宝物を河童が持ち運んだため、宝物が焼失せずにすんだとか――。・・・

河童は、居たそうな……。
その昔、飢饉が続いた遠野では子供を育てられず、子供を河原に置き去りにしたそうな。故に河童であるとな――。

感覚が研ぎ澄まされていた昔の人は、置き去りにされて亡くなった子供の霊を敏感に感じ取ったのかもしれません。

最近、『わらびのこう 蕨野行』(主演/市原悦子さん、監督/恩地日出夫さん、「芸術選奨文部科学大臣賞」、「ヨコハマ映画祭特別大賞」など受賞多数)という映画を見ました。これは、「日本の原風景を映像で考える会」が製作した、いわゆる姥捨山(うばすてやま)の物語ですが、遠野にも「でんでら野」という姥捨ての野原があって、“遠野の原風景”と重ねて見ることができました。

ちなみに、「でんでら野」とは、「蓮台(れんだい)野」が転訛したもので、『安倍七騎』で記した「化野(あだしの)」(p69、p184)も同意で、墓地、葬送場、火葬場などの意であります。
  


Posted by 安倍七騎 at 15:58Comments(0)徒然

2008年04月17日

「“安倍七騎とその風景”探訪ツアー」のこと(vol.35)

4月6日(日)、「“安倍七騎とその風景”探訪ツアー」(駿府静岡歴史楽会主催・影山満会長)が行われました。

これは、静岡市賤機都市山村交流センター「安倍ごころ」(葵区牛妻)にて、「歴史探訪 安倍七騎」と題した私の話のあと、安倍七騎ゆかりの地などをバスで訪ねるといったものでした。

参加者は28名でしたが、これは、小型貸切りバスの定員の数で、これ以上大きいバスだと(定員が大きいバスだと)山道のカーブを曲がるのが難しいということで、やむなく何人かの方はお断りをさせてもらいました。

また、バスのあとを、自家用車で追ってのツアー参加を申し込まれた方もいらっしゃいましたが、昼食をとるお店の定員数の都合上、こちらもやむなくお断りさせてもらいました。大変申し訳ないと思いましたが、それだけ安倍七騎に関心をお寄せくださったということで、嬉しくも思いました。

まず、講演では、安倍七騎について伝わるエピソードや文献の紹介。それから、『安倍七騎』の出版化に向けての調査において私が感じたこと思ったことなどをお話し、「安倍奥の楽しみ方」として、安倍・藁科川筋の伝説が書かれた書籍(例えば、『梶原景時の生涯 ― 安倍川周辺の史話と伝説五十篇 ―』(松尾書店)、『大河内村史 復刻版』(岩本利太郎・大河内青年団)、『藁科物語』(静岡市立藁科図書館)など)の紹介をしました。

その後、蕎麦処「つど野」で、お蕎麦で一杯やったあと、安倍七騎の望月四郎右衛門と杉山小兵衛のふるさとである俵峰へ行き、杉山氏が弓で敵勢を追い返したといわれる「引落シ」の案内、それから、末裔である望月庄太郎さん宅へも伺いました。4月1日でも、ここは氷点下を記録したとのことで、ここでは山桜を期待のですが、時期尚早で見ることができませんでした。また、拙著『安倍七騎』の巻頭カラー写真で掲載した桜の木も、昨年落雷に遭ったとのことで、だいぶ小さくなっていました(今にして思うと、巻頭カラー写真に収めてよかったと思いました)。

俵峰のあとは、「真富士の里」で休憩をとり(安倍川対岸の見月山を望む。名物に「平野まんじゅう」「わさびソフト」がある)、それから、末高半左衛門の邸があったといわれる平野の「スエタカ」と呼ばれる場所へ行きました。ここは、今では一面茶畑になっているところで、安倍川対岸の山々がとてもよく見えました。ただ、ここへ行くのには、多少危険な山道を歩かねばならず、歩行者の手を取らねばならぬなど、ちょっと苦労するところもありました。

「スエタカ」へのプチ登山のあとは、筋肉痛にも効く梅ヶ島温泉「黄金の湯」に浸かりました。前出の杉山小兵衛は、武田氏の金山衆として活躍したとのことで、金山の仕事のあとは、梅ヶ島の湯に浸かったのかもしれません。そういえば、「黄金の湯」の前には、樹齢四百数十年の栂の切株が展示されており、今川や武田、それから、ここに暮らす人々の暮らしを見てきた木として紹介されていました。

講演会とツアーを兼ねた企画というのはこれがはじめてでした。感想としては、参加された方々に怪我がなかったこと、これが一番いいことでした。あと、定員満杯でお申込みを断られた方、バスの補助席で我慢してくださった方には申し訳なく思いました。このことについては、この場を借りてお詫び申し上げます。

そして、皆様、誠にありがとうございました。
  


Posted by 安倍七騎 at 15:43Comments(0)催事

2008年04月13日

今年の花見は――(vol.34)

静岡市駿河区の丸子川堤に行ってきました(3月29日)。

普通、桜トンネルと呼ばれるものは、左右両側に桜並木があって、
その間をくぐるといったものですが、
丸子川堤のそれは、片側に桜並木があるだけです。
ここの桜樹は、しだれ桜でもないのに、幹が小道をまたいで、
川側にむかってアーチをつくるといったもので、これがたいへん風情がありました。

正午過ぎ、堤の一角を陣取って、ご馳走に舌鼓を打ち、銘酒にしたたか酔うと、
時間の経つのも忘れてしまい、あっという間に夕刻となりました。
ブログvol.24「春の息吹」で、入日を浴びた赤い梅の樹の画像を掲載しましたが、
残日に映える桜もとても雅やかなもので、

   げに一刻も千金の……

という、童謡「花」の歌詞は、このような景色を描写したのだなと思いました。













串もの、乾もの、美酒、帝国ホテルのケーキもあり!

                          


                         
宴のにぎわいにつられてか、水鳥も近くに寄ってきました。
  


Posted by 安倍七騎 at 17:55Comments(4)徒然

2008年04月09日

人々は繋がっている(vol.33)

人の縁とは面白いなあということを、つくづく思い知らされます。ご縁をいただきお付き合いをはじめると、その人の知り合いが、私の旧知の方と繋がっているとか、そんなことが、私にはわりと多いのです。

以前、ブログのvol.25で、県立中央図書館で行われた講演会のお話をいたしましたが、この講演会のとき、会場で落ち合った方に誘われて、「スノードール」(静岡市清水区上原)というお店へ行ってきました。

このお店は、洋服、バッグ、アクセサリーなどを取扱うリサイクルブティックなのですが、このお店の店先で、イベントが行われていました。

このイベントでは、全国各地のお茶の飲み比べができたり、桜チップでスモークした肉の販売などをやっていましが、だいぶ夕刻に近い時間でもあり、イベントは終わりごろになっていました。

また、ここでは、当ホームページとリンクしている「スロースタイル」で、マイ箸作りなどで活躍されている方が参加しており、環境問題とリサイクルという接点で、この方が来ているんだなと思いつつも、

―― ここで会うとは偶然……、ほう、世間はわりかし狭いなぁ……。

などと、漠然と思いました。

実は、このイベントには、このあと第2弾が控えてあり、「スノードール」の2階にある「オルタナティブスペース・スノドカフェ」という飲食店で、各自手造りの食べ物をみんなで持ち寄って食べるという企画で、私をこのイベントに誘ってくださった方の「房州ひじきの煮物」などを美味しく頂きました。

私は、ひたすら飲み食いに専念していると、ひとりの女性がやってこられ、「今度、県立大学で、在ブラジル日本人のドキュメント映画が上映されるので、よろしかったらお越しください」と声をかけてくれました。

―― いいですね、ブラジルですか……、

15年ほどまえ(静岡県中部商工労政事務所勤務のころ)、労働相談業務を担当していた私は、当時急増した日系ブラジル人からの労働相談にそなえて、ツケヤキ刃ながらもポルトガル語を勉強しました。私は、そのときに、ブラジルの文化にも触れることができ、このことに興味があったので映画上映会に伺う旨を申し上げると、その女性の口から、「ジャンジーラ先生……」という言葉が出ました。これに私は、

―― えっ!

と、吃驚(ビツクリ)!!

その、ジャンジーラ先生こそ、私のポルトガル語の先生でした。
聞くと、ジャンジーラ前山先生も上映会にお見えになるとのことで、余計、上映会に行きたくなりました。

さて、上映会の当日――。
上映のまえに、私はさっそくジャンジーラ前山先生に挨拶行き、再会を喜びました。

この上映会では、受付に、「伊太利亭」(当ホームページのリンク集参照)で知り合った学生さんもいて、あらためて人との繋がり、かかわりの妙さを思い知りました。

私は、以前、伊太利亭のマスターが、静岡市の人口的規模が適度にいいから、「こんなことってあるんだよねぇ」と言ったことを思い出しました。


ジャンジーラ前山先生(右)と私
  


Posted by 安倍七騎 at 00:37Comments(2)随想

2008年04月03日

ちょっとした嬉しいこと(vol.32)

ほんとうに、ささやかなことですが――。

我が家では、私が神棚に供えてある榊(さかき)の水かえをします。
最近、多忙に感(かま)けて、毎日とはいかないのですが、
少なくとも2、3日に一回は水かえをするようにしています。
その際に、水の吸い上げがよくなるよう、
茎の先端部分をちょっとだけ切ります。
その甲斐があってか、今年も葉の根っこに新しい葉が丸くつきだしました。
切花は咲いて咲き誇ったら一回だけで終わってしまうのですが、
榊の場合は新しい葉がでてくるという楽しみがあります。

毎年、私は、これに芽吹きの「命」を感じ、嬉しくなってきます。
榊は花が咲かない「切花」ですが、こんな楽しみ方もあると思います。

ちなみに、神棚になぜ榊がお供えされるのかということですが、
「榊(さかき)」は「境木(さかいき)」で、
神様と人間の境、つまり「結界(けっかい)」を示す木だということです。



  


Posted by 安倍七騎 at 12:10Comments(0)徒然