2009年01月29日

柿島逍遥(vol.103)

柿島村名主家であった朝倉一族のお墓は、今も柿島にある。
それは、朝倉家屋敷跡から200メートルほどさきの小山の中腹にあり、数にして41基を数える。
そのうちの一つに、大正年間に建てられたものがあり、なんでも石屋の小僧さんが1年がかりで磨き上げたため、いまだにその墓石の前に立つ人の影を、鏡のようにうつしだす。



 朝倉家のお墓



墓石に、私の赤いダウンジャケットがうつっている。



お墓のある場所から、かつて朝倉邸のあった方向を見る。
今は茶畑になっている。
その手前は、造成中の田圃。  


Posted by 安倍七騎 at 14:32Comments(0)

2009年01月24日

奥池ヶ谷城跡(vol.102)

玉川は、中河内川ぞいにはしる安倍街道の脇に、かつて城があった。

今は城山(じょうやま)とよばれ、その痕跡を地名に見ることができる。
城山の名からお察しのとおり、山城であった。
高さは140mで、かつて曲輪があったと思われるところは、頂上付近に4段の平場(段)がある。
さて、この城。その名は奥池ヶ谷城―。
かつて、今川範国の家臣友任氏の城で、永禄のころ武田氏によって滅亡されたといわれている。
1月18日にこの城山に登ったが、かつて井戸であったところでは、いまだに冬の早朝には、水蒸気が立ち上るらしい。よって、地元の人は「霧噴き井戸」などと呼んでいる。

ちなみに、この城山があるところの字は長妻田と呼ばれる。
その地名のいわれは、この城が落城した際、多くの城兵が死んだので、七箇所に葬った。
それが「七塚」で、「七塚村」となって、時代が経るにしたがって、「長津俣村」さらには「長妻田村」となったといわれている。




城山遠景



城山の頂へ向かう道



冬の早朝に水蒸気があがる場所。かつては城の井戸だった。



城山9合目あたりで撮った風景。

遠景の山(―中河内川対岸に位置する―)の山中に沢がある。
奥池ヶ谷城が落城した際、友任氏の妻は幼児を抱き、乳母をともなってその沢まで逃げてきた。
落ち延びて一安心と思ったか、沢の畔にある大石の陰で布を敷き飲食したがついには追手に見つかり、幼児とともに沢の淵に身を投げて死んだ。爾来、その淵を「赤子淵」(或いは「なれやいの淵」)、沢を「布沢(ぬのんざわ)」、大石を「世帯石」とよぶようになった。

本日の安倍奥講座はこれまで。
一同解散!



  


Posted by 安倍七騎 at 18:34Comments(0)徒然

2009年01月19日

刀の次は(vol.101)

槍ですなぁ・・・。



これは、「十文字鎌槍」といった種類の槍です。
丁度、槍穂と左右に突き出た枝刃のさまが、十の字に見えるからですね。
『安倍七騎』には、「蝙蝠形十文字鎌槍」(こうもりがたじゅうもんじかまやり)が出てきましたが、蝙蝠形のそれは、ふたつの枝刃が扇状しつらえてあり、その様子が蝙蝠が両翼をひろげた格好に見えたことから、「蝙蝠形十文字鎌槍」と呼ばれました。
実はこの十文字鎌槍といわれる種類の槍は、騎乗戦には不向きでした。
それは、柄から垂直につきでた枝刃が、馬の首や目などを傷つけたからです。  


Posted by 安倍七騎 at 21:17Comments(0)

2009年01月11日

信州川中島の軍功により(vol.100)

 信玄公から拝領せし一振りの太刀



 赤鎧(あかぞなえ)の拙者は、武田家家臣山県昌景の気分。


   


Posted by 安倍七騎 at 22:41Comments(0)徒然

2009年01月04日

閑に居す(vol.99)

藤枝市岡部(旧岡部町)を流れる朝比奈川の支流に、野田沢川がある。

その上流部に、野田沢という集落があり、『安倍七騎』初版を発行してまもなく、この集落の増田辨之介(ますだ・べんのすけ)さんから「本がほしい」と電話があったので、早速私は、できたての本を持参した(―増田さんのお名前からお察しのとおり、ご高齢の方である―)。

私は安倍奥や奥藁科も好きだが、朝比奈川も好きである。
奥藁科の帰りに、藁科川沿いの富沢(とんざわ)から朝比奈川の小布杉(こふすぎ・朝比奈川沿いだが静岡市葵区の市域)にぬけたり、小瀬戸から西又を経て殿(旧岡部町)あるいは小園(同)へ出、焼津の我が家へ帰ることがある。

さて、野田沢という集落を訪れたのは増田さん宅を訪れたときがはじめてだった。
あれから2年が経つ。今日(平成21年1月4日)、久しぶりに増田さん宅を訪れた。
増田さん宅は、野田沢川右岸にあり、その背後に山を背負っている。前面が川、背後が山といった地勢にある。お宅へ伺うには左岸にそってはしる道の脇に車をとめ、粼々(りんりん)と流れる清流野田沢川に架かる赤い小橋をわたってゆく。

増田さんは、満面の笑みで私を迎えてくださった。
本日知ったが、増田さんは昨年脳梗塞を患ってから山仕事をやめ、今では自宅で養生の日をおくられている。車の運転もやめられたそうだ。
週にいちど、川を下り、友人宅へ行くことを楽しみにしておられるとのことで、また、『安倍七騎』のことを、自分のことのように喜んでくれていると、奥様がおっしゃられた。

この日、増田さんから野田沢にのこる伝説をうかがった。
野田沢を下ったあたりに、かつて「義経の隠れ石」があったそうだ。なんでも(―奥州に落ち延びる際―)本街道(この場合、東海道)をゆかず、脇街道を通ったから山間のこの地に義経伝説があるそうだ。
ただ、道路の拡幅で、その石は現在埋められているそうだ。

それから、「浪人坂」のお話―。
昔、お侍がここの坂で斬られた。村人がこのお侍を介抱したが、お侍はその甲斐なく息絶えた。その今際のきわ、お侍が言うに「私が斬られた坂で今後事故があっても、怪我人は出ない」と言ったそうだ。
増田さんは、「霊魂はあるんだよ」と言ったあと、「事実その坂で事故があっても、不思議と怪我人は出ない」と言われた。

さて、正月休暇も今日で最後―。
また忙(せわ)しない日々がはじまるが、また増田さん宅に伺い、この閑静なる風情に身をゆだねてみたい。

さて、明日は4時半起床。7時前に出社。そして、大阪・岐阜へ出張。
頑張るぞ!!
みなさんも頑張りましょう!!


 ↓ 画像をクリックしてください。



お土産にいただいた椎茸。
下に敷いた新聞のテレビ欄には、NHK大河ドラマ「天地人」(―今日が第1回目―)。
ここに「安倍七騎」と載るのはいつか。


  


Posted by 安倍七騎 at 21:31Comments(0)徒然

2009年01月03日

さらなる高騰(vol.98)

現在、Amazonでは『安倍七騎』の第二版の中古品が、8,230円の値をつけています。
昨年の暮のときには7,482円でしたが。

お宝ですなぁ…。  


Posted by 安倍七騎 at 21:42Comments(0)徒然

2009年01月02日

あけましておめでとうございます。(vol.97)

旧年中は安倍七騎を応援してくださり誠にありがとうございました。
本年も、皆様のご多幸とご健勝を、心からお祈り申し上げます。

昨年を振り返れば、静岡浅間神社崇敬会様、静岡県庁港湾局様、静岡市立藁科図書館様、静岡市岡生涯学習交流館様、静岡市葵区生涯学習センター様、静岡日本平ロータリークラブ様、静岡西ロータリークラブ様、静岡駿府歴史楽会様によって安倍七騎の講演会の機会を賜り、
静岡市まちづくり振興課様には、「中藁科ツアー」のコーディネーターの役を賜りました。
さらには、劇団「あろゑ」様によって安倍七騎が劇に登場しました。

また、「安倍奥の会」が発足し、「安倍奥の風景展」の開催――。
これの準備には静岡市葵区生涯学習センター職員の秦葉さん、加藤さんに深夜までお付き合いいただきました。
そして、新しい仲間の輪がひろがりました。

今年も、安倍七騎の新たな展開をめざし、頑張ってまいります。
今年も応援のほど、どうぞよろしくお願いします。

                   感謝  『安倍七騎』発行・著者 淺羽克典  


Posted by 安倍七騎 at 09:04Comments(0)