2009年01月04日

閑に居す(vol.99)

藤枝市岡部(旧岡部町)を流れる朝比奈川の支流に、野田沢川がある。

その上流部に、野田沢という集落があり、『安倍七騎』初版を発行してまもなく、この集落の増田辨之介(ますだ・べんのすけ)さんから「本がほしい」と電話があったので、早速私は、できたての本を持参した(―増田さんのお名前からお察しのとおり、ご高齢の方である―)。

私は安倍奥や奥藁科も好きだが、朝比奈川も好きである。
奥藁科の帰りに、藁科川沿いの富沢(とんざわ)から朝比奈川の小布杉(こふすぎ・朝比奈川沿いだが静岡市葵区の市域)にぬけたり、小瀬戸から西又を経て殿(旧岡部町)あるいは小園(同)へ出、焼津の我が家へ帰ることがある。

さて、野田沢という集落を訪れたのは増田さん宅を訪れたときがはじめてだった。
あれから2年が経つ。今日(平成21年1月4日)、久しぶりに増田さん宅を訪れた。
増田さん宅は、野田沢川右岸にあり、その背後に山を背負っている。前面が川、背後が山といった地勢にある。お宅へ伺うには左岸にそってはしる道の脇に車をとめ、粼々(りんりん)と流れる清流野田沢川に架かる赤い小橋をわたってゆく。

増田さんは、満面の笑みで私を迎えてくださった。
本日知ったが、増田さんは昨年脳梗塞を患ってから山仕事をやめ、今では自宅で養生の日をおくられている。車の運転もやめられたそうだ。
週にいちど、川を下り、友人宅へ行くことを楽しみにしておられるとのことで、また、『安倍七騎』のことを、自分のことのように喜んでくれていると、奥様がおっしゃられた。

この日、増田さんから野田沢にのこる伝説をうかがった。
野田沢を下ったあたりに、かつて「義経の隠れ石」があったそうだ。なんでも(―奥州に落ち延びる際―)本街道(この場合、東海道)をゆかず、脇街道を通ったから山間のこの地に義経伝説があるそうだ。
ただ、道路の拡幅で、その石は現在埋められているそうだ。

それから、「浪人坂」のお話―。
昔、お侍がここの坂で斬られた。村人がこのお侍を介抱したが、お侍はその甲斐なく息絶えた。その今際のきわ、お侍が言うに「私が斬られた坂で今後事故があっても、怪我人は出ない」と言ったそうだ。
増田さんは、「霊魂はあるんだよ」と言ったあと、「事実その坂で事故があっても、不思議と怪我人は出ない」と言われた。

さて、正月休暇も今日で最後―。
また忙(せわ)しない日々がはじまるが、また増田さん宅に伺い、この閑静なる風情に身をゆだねてみたい。

さて、明日は4時半起床。7時前に出社。そして、大阪・岐阜へ出張。
頑張るぞ!!
みなさんも頑張りましょう!!


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閑に居す(vol.99)

お土産にいただいた椎茸。
下に敷いた新聞のテレビ欄には、NHK大河ドラマ「天地人」(―今日が第1回目―)。
ここに「安倍七騎」と載るのはいつか。




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Posted by 安倍七騎 at 21:31│Comments(0)徒然
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