2012年09月24日
「みずき」と「なかざわ」(vol.238)
さて、この「見月山」――。みなさんは、何と読まれますか。焼津市在住の私は、お月見をイメージし、「みつきやま」と読んでしまいますが、数年前、地元の方が「みづきやま」と言われたときに、「はっ」としたことを憶えています。
地名は、その言い方を変えずに、時代時代で、漢字が変っていくことがあります。「見月山」は、昔は「水城山」であったという伝承があります。これは、中河内川と大河内川という天然の濠に守られた城、つまり「水城(みずき)」がこの山にあったということです。
また、「中沢」の地名の謂われも「水城」と同じで、「中河内川と大河内川のふたつの川(沢)が合流したところの中側にあるから」と、江戸時代に書かれた『修訂駿河国新風土記』に載っています。
2008年10月29日
なんでぇ、情けねぇ…(vol.80)
テレビには、毎度おなじみに、
「どうも、スミマセン・・・」
と頭を下げる学校関係者。
けど、本当に頭を下げる必要があったのかねぇ・・・。
やっぱり、新しいことに臨むにあたって、学生もそれにふさわしい容(かたち)や姿勢ってものが大事じゃないのかなぁ。
こんなの、点数以前の問題でしょ!!
なぜ、学校関係者は、そこのとこをビシッと言えず、頭を下げるのかねぇ。
2008年10月13日
農をめぐる風景(vol.75)
この会の目的は、「静岡における有機事業の確立と安全な農産物の生産普及に努め、豊かな社会づくりを目指す」といったものである。
まずは、講師の大村悌治郎さん(薬剤師、食品保健指導士)がお話をされ、そのあと、農業を営む方を中心に意見交換会が行われた。
・10回の農薬の散布を半分の5回にしても減農薬。また、20回の農薬散布を半分の10回としても、同じ「減農薬」の表示でお茶を売っている(県内の某所2箇所を例に出した)。
・法律に基づいて決められた農作物の規格があるが、書式さえ整えば、安全な農作物として認定されるのが実情。この規格以上の基準(消費者が納得いく基準)を設け、これを満たす農作物をつくりたい。
・有機肥料がもてはやされる今日だが、抗生物質などの薬漬けで育った家畜の糞を有機肥料に使ったり、或いは、遺伝子組み換えのトウモロコシを食べて育った家畜の糞を有機肥料に使う場合があるが、果たして安全なのだろうか?
・ヨーロッパの土壌は、畑に化学肥料を多くつかったため窒素過剰となり、地下水が飲めないところがある。
・日本も化学肥料のために酸性土壌となっている。1回化学肥料をつかうと、3年間待たないと土壌はもとにもどらない。
などが、この会であがった声であった。
抗生物質漬けの家畜の糞が堆肥として畑にまかれ、それで育った農作物を口にするのは、確かに恐い。
ましてや、鳥インフルエンザ問題がおきてから、鶏には普段より多くの抗生物質が使われているだろう。もちろん、基準値以下ではあるだろうが――。
基準値以下ならよいのか?といった疑問も生じる。
箱詰食品の「原材料名」を見ると、カタカナ文字の、決して台所で目にすることがない添加物が書かれている。
私たちは知らず知らずのうちに、様々な添加物を食物とともに取り入れている。これらのものと化学肥料で育った農作物を取り入れた場合、果たして無害だと言い切れるだろうか?――。個々では微量でもそれらが蓄積した場合の心配、また、互いが何らかの反応を起して害物となりえないのかという心配は拭えない。
なお、これは余談だが、養殖の魚には餌に混ぜて食ませた抗生物質が効かない場合があり、薬を注射で注入して病気予防をしているという。
それを、刺身で食すのはさすがに恐い!!
さて、堆肥のはなし。
それならば、広葉樹林の森を育て、その落葉によってつくられた腐葉土を堆肥にしたらどうか?――という、意見をもったが、後日この会に出席した農家の方に訊いたら、量的にむずかしいとのことだった。
以前、化学肥料の会社を経営していた人から、「化学肥料は畑のこやしではなく、懐(ふところ)のこやしだ」と聞いたことがある。
農業を経済ベースで追求したことの歪みが、良心的な生産者を立ち上がらせ、また、食の安全を声高にさせた原因だと改めて感じた。
2008年07月27日
食の安全に関わる――(vol.58)
「あくつ」のトマトから
「あくつ」は、減農薬米や有機野菜を扱うお店である(リンク集参照)。
この「あくつ」で、先日トマトを買った。
レジでオーナーの圷さんは、「B級トマトだけどいい?」と訊く。
B級!?――。
なるほど、それほど大きくもなく、かたちも整っていない。また、表面に茶けたキズまである。けれどこのB級トマト(――市場価値におけるB級――)、果たして本当に“B級”なのだろうか?
見栄えのよい食物を食べたからといって、必ずしも栄養になるとは限らない。いうまでもなく、食物は我々の元気の源を決定づける。
口にするものが、
―― エフワンの野菜なのか?
―― 遺伝子組み換えの小麦なのか?
―― 一ヶ月以上もカビないパンなのか?
(菌も相手にしないものが、平気で“食べ物”として売られている!!)などなど――。
言及すると、目先のよいもの(――値段も含めた――)だけにとらわれて食をおろそかにするのか、それとも、栄養のぎっしりと詰まったものを食すのか――。
我々は「医食同源」という言葉を真摯に受け止めねばならない時代に生きているのだ、と改めて考えさせられる。
帰宅後、「あくつ」で買ったトマトをガブリとやると、中身がぎっしりと詰まっていて、実に濃厚な味だった。このような“A 級”食材を扱う「あくつ」を、我々消費者は明確に支持すべきである。
*** 追 記 ***
本日7月27日(日)、安倍奥へ行ってきました。
その様子を、同行してくださった平野先生が、ブログ「脳内探訪」のなかに記してくださいました(http://www.hirano-masahiko.com/ タイトルは、「安倍七騎をゆく」)。素敵な画像(――絶妙なアングルや安倍奥の大自然など――)も満載です。是非ご覧ください!!
平野先生、お疲れのところ誠にありがとうございます!!
2008年04月09日
人々は繋がっている(vol.33)
以前、ブログのvol.25で、県立中央図書館で行われた講演会のお話をいたしましたが、この講演会のとき、会場で落ち合った方に誘われて、「スノードール」(静岡市清水区上原)というお店へ行ってきました。
このお店は、洋服、バッグ、アクセサリーなどを取扱うリサイクルブティックなのですが、このお店の店先で、イベントが行われていました。
このイベントでは、全国各地のお茶の飲み比べができたり、桜チップでスモークした肉の販売などをやっていましが、だいぶ夕刻に近い時間でもあり、イベントは終わりごろになっていました。
また、ここでは、当ホームページとリンクしている「スロースタイル」で、マイ箸作りなどで活躍されている方が参加しており、環境問題とリサイクルという接点で、この方が来ているんだなと思いつつも、
―― ここで会うとは偶然……、ほう、世間はわりかし狭いなぁ……。
などと、漠然と思いました。
実は、このイベントには、このあと第2弾が控えてあり、「スノードール」の2階にある「オルタナティブスペース・スノドカフェ」という飲食店で、各自手造りの食べ物をみんなで持ち寄って食べるという企画で、私をこのイベントに誘ってくださった方の「房州ひじきの煮物」などを美味しく頂きました。
私は、ひたすら飲み食いに専念していると、ひとりの女性がやってこられ、「今度、県立大学で、在ブラジル日本人のドキュメント映画が上映されるので、よろしかったらお越しください」と声をかけてくれました。
―― いいですね、ブラジルですか……、
15年ほどまえ(静岡県中部商工労政事務所勤務のころ)、労働相談業務を担当していた私は、当時急増した日系ブラジル人からの労働相談にそなえて、ツケヤキ刃ながらもポルトガル語を勉強しました。私は、そのときに、ブラジルの文化にも触れることができ、このことに興味があったので映画上映会に伺う旨を申し上げると、その女性の口から、「ジャンジーラ先生……」という言葉が出ました。これに私は、
―― えっ!
と、吃驚(ビツクリ)!!
その、ジャンジーラ先生こそ、私のポルトガル語の先生でした。
聞くと、ジャンジーラ前山先生も上映会にお見えになるとのことで、余計、上映会に行きたくなりました。
さて、上映会の当日――。
上映のまえに、私はさっそくジャンジーラ前山先生に挨拶行き、再会を喜びました。
この上映会では、受付に、「伊太利亭」(当ホームページのリンク集参照)で知り合った学生さんもいて、あらためて人との繋がり、かかわりの妙さを思い知りました。
私は、以前、伊太利亭のマスターが、静岡市の人口的規模が適度にいいから、「こんなことってあるんだよねぇ」と言ったことを思い出しました。
ジャンジーラ前山先生(右)と私
2008年03月23日
期待のボクサーふたり(vol.30)
彼のインタビューのなかに、梶山友揮選手(平石ジム・一昨年の中日本新人王)のことについて触れていました。梶山選手とは竹馬の友で、彼の影響を受けてボクシングをはじめたそうです。かつて、このふたりのスパーリングを見たことがありますが、お金をとってもおかしくないほどの魂の篭もったものでした。
よくボクシングの試合を闘牛に例えられます。この場合、梶山選手が突進する猛牛、これを裁くマタドールが左構えの関本選手――。向き合うふたりからは、互いが放つオーラを感じ、それが触れ合うたびに激しいパンチの応酬が繰り広げられました。
去る1月29日に行われた、藁科歴史講座「郷土藁科が育てたもの ――小説『安倍七騎』を書き終えて――」には、梶山選手と松永スポーツの松永ご夫妻が来てくれました。久しぶりに会った梶山選手はより精悍な面構えで、安倍七騎に列した男もこのような面構えではなかったか――、と思いました。
この日、彼と林孝亮選手(緑ジム・日本バンタム級12位)が戦った試合のDVDをプレゼントしてくれました。早速このDVDを見ましたが、梶山選手は1Rから最終10Rまでラッシュで突き進み、持ち前のスタミナとハートの強さを見せ付けた試合でした。解説者の元世界チャンピオン飯田覚士さんからは、「こんな試合は見たことない」というコメントもつきました。
来月10日、梶山選手は、東京後楽園ホールで、雄二ゴメス選手(石川ジム・第48代日本フェザー級チャンピオン)と対戦します。あんな試合を見せ付けられたら、対戦相手もこれくらいのレベルの選手でないといないのかもしれません。元日本チャンピオンで、しかもバネのある黒人選手という強敵ですが、あの相手を休ませないボクシングスタイルでの健闘と必勝を祈念します。
梶山選手の日本ランキング入りは目前です。梶山選手と関本選手そろってのランキング入り――。これは彼らにとってひとつの通過点にすぎません。ふたりは、これからも艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越え、そして、ともに刺激しあって進化しつづけていくことでしょう。近い将来、「静岡には、世界チャンピオンがふたりいる」と言える日がくるのかもしれません。

常に気迫を込めて練習にのぞむ梶山友揮選手。
彼を見ていると、ボクシングは“拳闘道”であると思えてくる。
これは、「剣禅一致」或いは、「剣禅一如」というものにも通じることだと思う。
2008年03月04日
県立中央図書館の講演会のこと(vol.25)
3月1日(土)、標記の講演会に行ってきました。この講演会は、午前中と午後の2回に分けて行われました。
午前中は、静岡県読書推進運動協議会特別講演会として、『落語は想像力で楽しめる ―― 落語の未来は読書にかかっている ――』と題した立川志の吉さん(2月26日に若手落語家グランドチャンピオンに。NHK『ためしてガッテン』の司会者、立川志の輔さんの一番弟子)の話でした。
タイトルから想像するような講演会というよりも、落語を2つ演じたものといった感がありましたが、落語の枕部分(本題に入る前のお話)に、「ああ、なるほどなぁ」頷くことがありました。志の吉さんは、全国の小学校に呼ばれて、独演会をするそうですが、学校で本の読み聞かせをやっている小学校とそうでない小学校は、高座に座って5分でわかるそうです。児童の反応が明らかに違うとのことでした。言い換えれば、「想像力が育っている子供かどうか」ということで、前者の方は、志の吉さんの話をじっと聞き、頭の中でおのおの情景をうかべて物語が展開できているのですが、後者の方は、落ち着きがなく、志の吉さんの独り言で終わってしまうそうです。
志の吉さんの言うには、「今の子供達には、想像力が育つ環境にない」ということを言われました。テレビやテレビゲームなど、画面が想像力を膨らます必要をなくしてしまっているというのです。志の吉さんは、小学校での独演会では、口をもぐもぐとさせてみて、「今、何をなめてる?」と、子供達に訊くそうです。「飴」「プチトマト」「たこ焼き」と、思い思いの答えが返ってくるそうですが、この想像力で楽しもうという気持ちが大事だといわれました。
読書も落語も想像力あって成り立つもので(音楽もそうでしょうが――)、想像力欠如ということは楽しみ方を失うことになると思うわけであります。
午後の講演会は、「静岡県立中央図書館貴重書講座『江戸時代の駿府を訪ねて ―― 駿府町方史料を中心に ――』」と題した、常葉学園大学織田元泰先生のお話でした。
織田先生のお話によると、慶長12年(1607)に家康公が駿府にやって来、2年後の慶長14年(1909)に駿府の町割りを行って、現在の静岡市内の町の骨格ができあがったとのことで、安倍川右岸の徳願寺あたりから描かれた『駿府鳥瞰図』(すんぷちょうかんず)には、駿府城の西側に碁盤の目のような町割りが施されています。
それから、この講演会では、大御所家康が没した元和2年(1616)の後、徳川頼宣、徳川忠長が城主として16年間在城したものの、以降「大名なき城」であったことや(城番はいた)、寛永12年(1635)の駿府城消失以降、「天守閣なき城」であったことが話され、大御所時代の隆盛を考えた場合、寂しくもあり、不思議な城であったことがわかりました。
2008年02月29日
春の息吹(vol.24)
ここしばらく、私の住む街焼津市の週間天気予報では、最低気温が氷点下といった日々が続きました。しかし、2月28日現在のそれでは、ようやく氷点下の日々を脱出する模様です。予報どおり、このまま暖かくなってくれればよいのですが……。
さて、Vol.17で触れた永田有機農園の永田和徳さんも無事退院され、「今、家で飲んでいるよ」と電話がありました。永田さんの入院前から入院中にかけて、私は農園のお手伝いをさせてもらい、今年はいつもの年よりも少しだけ、自然と触れ合う機会も多かったように思います。
前回のVol.23では、熱海の梅園について触れました。園内に咲く紅白の梅もとっても綺麗でしたが、永田有機農園近くにある高草川沿いに咲く梅もなかなかのものです。畑からの帰りなど、この川沿いを通るようになり、「春はまだか……」「お、もうじきだ……」と、いった具合に思うわけであります。咲いた花や、開花間近の蕾そのものもいいものですが、花や蕾をつけ、斜陽に赤く染めあがった梅の樹なんかもなかなか風情があるなぁと、この川沿いの梅並木をながめつつ思いました。
もちろん、梅だけではなく、農園の作物からも、春の息吹は感じられます。今は、菜花(なばな)の収穫時期で、可憐な花の蕾がぎっしりとつまったこの作物は、まさに春到来を告げる野菜です。
* * * * 追 記 * * * *
菜花は、ブロッコリーの塩茹でのとおりのやり方で、沸かした塩水のなかに3~4分入れたあと、ざるなどで湯切りをします。それを、マヨネーズを添えたお皿にもると、おかず一品の出来上がり!! 一工夫して、マヨネーズーズにお醤油と七味唐辛子を和えたドレッシングで食べるのもおいしいです。
菜花は、これから一花咲かせようという蕾のかたまりですので、とても栄養価のある野菜です。
2008年02月16日
藁科歴史地理講座(第三回) (vol.20)
今号も、前号に引き続いて「藁科歴史地理講座(第三回)」のことですが、講座で用いたレジュメの項目ごとに、ざっと触れてみます(太字はレジュメ記載の項目等)。
「郷土藁科が育んだもの ――小説『安倍七騎』を書き終えて――」
1 考察 安倍七騎
ア 七人の侍は誰だ?
安倍七騎とされる人物は案外多い。
拙著でとりあげた七人のほか、ほかにどんな名があげられるのか?
イ その時代と位置づけなど
「猪河(井川)山軍」といわれた平安末期の武士団が安倍七騎なのか? それとも、南北朝の頃の武士団か? 或いは戦国時代の武士団なのか? 戦国時代なら、今川が駿河を支配していた頃? それとも、武田の頃か? 徳川の頃か?――。
拙著『安倍七騎』が武田氏の頃の武士団としたわけは……?
そして、彼らの役割は何だったのか?
2 小説としての安倍七騎
『安倍七騎』のあらすじについて
3 伝承としての安倍七騎
大石五郎右衛門の最期、杉山小兵衛にまつわる伝承について
四百数十年も経っても、なぜ伝承として後世に伝わるのか?
4 郷土藁科が育んだもの ―― それは地名に息づいている ――
ア 大間
イ 赤沢、小島、日向
ウ 鍵穴
エ その他
アからエのこれらの地名が意味するものは?
追記 ―― 地名はまさしく“カントリーサイン”――
地名には言霊が宿っているだけでなく、私どもの先祖の暮らしや歴史が刻印づけれられていると思っている。(司馬遼太郎著/『街道をゆく第29巻 飛騨紀行』より)