2008年10月13日
農をめぐる風景(vol.75)
10月8日、「静岡ゆうきの会」主催の、「リアルフード(有機農産物)勉強会」に参加した。
この会の目的は、「静岡における有機事業の確立と安全な農産物の生産普及に努め、豊かな社会づくりを目指す」といったものである。
まずは、講師の大村悌治郎さん(薬剤師、食品保健指導士)がお話をされ、そのあと、農業を営む方を中心に意見交換会が行われた。
・10回の農薬の散布を半分の5回にしても減農薬。また、20回の農薬散布を半分の10回としても、同じ「減農薬」の表示でお茶を売っている(県内の某所2箇所を例に出した)。
・法律に基づいて決められた農作物の規格があるが、書式さえ整えば、安全な農作物として認定されるのが実情。この規格以上の基準(消費者が納得いく基準)を設け、これを満たす農作物をつくりたい。
・有機肥料がもてはやされる今日だが、抗生物質などの薬漬けで育った家畜の糞を有機肥料に使ったり、或いは、遺伝子組み換えのトウモロコシを食べて育った家畜の糞を有機肥料に使う場合があるが、果たして安全なのだろうか?
・ヨーロッパの土壌は、畑に化学肥料を多くつかったため窒素過剰となり、地下水が飲めないところがある。
・日本も化学肥料のために酸性土壌となっている。1回化学肥料をつかうと、3年間待たないと土壌はもとにもどらない。
などが、この会であがった声であった。
抗生物質漬けの家畜の糞が堆肥として畑にまかれ、それで育った農作物を口にするのは、確かに恐い。
ましてや、鳥インフルエンザ問題がおきてから、鶏には普段より多くの抗生物質が使われているだろう。もちろん、基準値以下ではあるだろうが――。
基準値以下ならよいのか?といった疑問も生じる。
箱詰食品の「原材料名」を見ると、カタカナ文字の、決して台所で目にすることがない添加物が書かれている。
私たちは知らず知らずのうちに、様々な添加物を食物とともに取り入れている。これらのものと化学肥料で育った農作物を取り入れた場合、果たして無害だと言い切れるだろうか?――。個々では微量でもそれらが蓄積した場合の心配、また、互いが何らかの反応を起して害物となりえないのかという心配は拭えない。
なお、これは余談だが、養殖の魚には餌に混ぜて食ませた抗生物質が効かない場合があり、薬を注射で注入して病気予防をしているという。
それを、刺身で食すのはさすがに恐い!!
さて、堆肥のはなし。
それならば、広葉樹林の森を育て、その落葉によってつくられた腐葉土を堆肥にしたらどうか?――という、意見をもったが、後日この会に出席した農家の方に訊いたら、量的にむずかしいとのことだった。
以前、化学肥料の会社を経営していた人から、「化学肥料は畑のこやしではなく、懐(ふところ)のこやしだ」と聞いたことがある。
農業を経済ベースで追求したことの歪みが、良心的な生産者を立ち上がらせ、また、食の安全を声高にさせた原因だと改めて感じた。
この会の目的は、「静岡における有機事業の確立と安全な農産物の生産普及に努め、豊かな社会づくりを目指す」といったものである。
まずは、講師の大村悌治郎さん(薬剤師、食品保健指導士)がお話をされ、そのあと、農業を営む方を中心に意見交換会が行われた。
・10回の農薬の散布を半分の5回にしても減農薬。また、20回の農薬散布を半分の10回としても、同じ「減農薬」の表示でお茶を売っている(県内の某所2箇所を例に出した)。
・法律に基づいて決められた農作物の規格があるが、書式さえ整えば、安全な農作物として認定されるのが実情。この規格以上の基準(消費者が納得いく基準)を設け、これを満たす農作物をつくりたい。
・有機肥料がもてはやされる今日だが、抗生物質などの薬漬けで育った家畜の糞を有機肥料に使ったり、或いは、遺伝子組み換えのトウモロコシを食べて育った家畜の糞を有機肥料に使う場合があるが、果たして安全なのだろうか?
・ヨーロッパの土壌は、畑に化学肥料を多くつかったため窒素過剰となり、地下水が飲めないところがある。
・日本も化学肥料のために酸性土壌となっている。1回化学肥料をつかうと、3年間待たないと土壌はもとにもどらない。
などが、この会であがった声であった。
抗生物質漬けの家畜の糞が堆肥として畑にまかれ、それで育った農作物を口にするのは、確かに恐い。
ましてや、鳥インフルエンザ問題がおきてから、鶏には普段より多くの抗生物質が使われているだろう。もちろん、基準値以下ではあるだろうが――。
基準値以下ならよいのか?といった疑問も生じる。
箱詰食品の「原材料名」を見ると、カタカナ文字の、決して台所で目にすることがない添加物が書かれている。
私たちは知らず知らずのうちに、様々な添加物を食物とともに取り入れている。これらのものと化学肥料で育った農作物を取り入れた場合、果たして無害だと言い切れるだろうか?――。個々では微量でもそれらが蓄積した場合の心配、また、互いが何らかの反応を起して害物となりえないのかという心配は拭えない。
なお、これは余談だが、養殖の魚には餌に混ぜて食ませた抗生物質が効かない場合があり、薬を注射で注入して病気予防をしているという。
それを、刺身で食すのはさすがに恐い!!
さて、堆肥のはなし。
それならば、広葉樹林の森を育て、その落葉によってつくられた腐葉土を堆肥にしたらどうか?――という、意見をもったが、後日この会に出席した農家の方に訊いたら、量的にむずかしいとのことだった。
以前、化学肥料の会社を経営していた人から、「化学肥料は畑のこやしではなく、懐(ふところ)のこやしだ」と聞いたことがある。
農業を経済ベースで追求したことの歪みが、良心的な生産者を立ち上がらせ、また、食の安全を声高にさせた原因だと改めて感じた。
「みずき」と「なかざわ」(vol.238)
なんでぇ、情けねぇ…(vol.80)
食の安全に関わる――(vol.58)
人々は繋がっている(vol.33)
期待のボクサーふたり(vol.30)
県立中央図書館の講演会のこと(vol.25)
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Posted by 安倍七騎 at 19:59│Comments(0)
│随想
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