2008年09月30日

安倍奥のソバ(vol.71)

9月29日の静岡新聞朝刊に、葵区桂山のソバ栽培の記事が載っていました。
その見出しは、

里の秋飾るソバの花 今月いっぱい見ごろ

といったもの。

漆畑芳昌さん(80歳)方の約1,000平方メートルの畑には、白い花をいっぱいつけたソバの写真がありました。この記事で、ソバは種まきから約一ヶ月で70センチほどに成長し、花をつけるということを知りました。

それからこの記事を見て、このソバが安倍奥の売り商品にならないものか――、などとも思いました。佳山から数キロ安倍川筋を下った津渡野には「つど野」というお蕎麦屋さんがあります。このお店のご主人である岩崎太嗣(いわさき・たいじ)さんは、全国的に有名な「翁」(「おきな」・山梨県)というお店で修行を積んだ方で、歴とした蕎麦職人です。
地元の素材をつかい、確かな技術をもった人に蕎麦を打ってもらったら、“安倍奥の蕎麦”としてブランド化できるのではないでしょうか。

  


Posted by 安倍七騎 at 00:21Comments(0)徒然

2008年09月23日

今年の柿は・・・、(vol.70)















 カクベツらしい。


  


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2008年09月21日

田中泯さんの「場踊り」(vol.69)

田中泯(たなか・みん)といえば、映画「たそがれ清兵衛」で、真田広之演じる平口清兵衛の敵役として、余吾善右衛門を演じた。そして、この映画で、58歳にして日本アカデミー賞最優秀助演賞並びに新人賞と、キネマ旬報新人賞を受賞した。

「たそがれ清兵衛」では、藩から切腹を命じられたことを不服とする善右衛門と、これを「上意討ち」とすることを藩命として授かった清兵衛とが斬り合う。この殺陣も目を見張ったが、善右衛門が抱えざるをえなかった鬱積をスクリーンでみごとに醸しだし、ひときわ異彩を放っていた。

さて、泯さんのことである(――と切り出しつつも、「泯」とは「亡ぶ」の意であると、いきなり話が横道にそれた)。

9月15日、泯さんが袋井にある「楽土舎」で、「場踊り」なるものを踊った。
そのパンフレットによると、「劇場空間を離れて2年半、舞踊家・田中泯は、前衛と伝統の融合を求めるエトランジェとして『場踊り』を展開」とある。

つまり、「劇場ではなく、屋外で繰り広げられるひとり踊り」ということだ。
この日の舞台は、土の平場、小高い瓦礫場、「石ノ舞台」という5m四方ほどの台場で、舞台幅にして15m、奥行きが7~8mといったところ。そして、舞台と客席の間には、茨のごとく棘棘とした一本の鉄線がはってあり、舞台袖が森といった具合だ。

主催者「楽土舎」(http://www3.tokai.or.jp/rakudosha/)の松田さんの話によると、「どこで踊るか」というのも開演の数時間前に決まった(泯さんが決めた)――、という。

夕方の6時半。森から、泯さんが松明をかざしてそろりそろりと出てくる。全般にわたって静かな所作の踊りだが、舞いは足の指の先まで緊張が漲っており、見るものの息を詰まらせる。

先の松田さんの話によると、「雨が降らないかなぁ…」と、開演前に泯さんが呟いたそうだが、折りしも雨。雨が舞台を照らす電球を線となってかすめる。やがて、雨の線に打たれる泯さんの体から、汗が湯気となって立ち昇ってゆく。

私は、舞踊を間近で見るのは初めて。まして前衛のそれとなると、素人の私には解し得ないところもあったが、醸しだす何かがひしひしと伝わって来、鳥肌がたった。「なんだかよく解らないけど鳥肌がたっちゃう」というのが、前衛の前衛たる所以なのかもしれない。


   ↓ 画像をクリックすると、拡大されます。
      場踊りの様子は撮影禁止であったため、画像はありません。悪しからず



  「楽土舎」への入口



 「楽土舎」へのエントランス



 「楽土舎」のなかの様子



 「場踊り」の受付



 「場踊り」客席の様子



 泯さんがつくった農作物、泯さんは、山梨県北杜市白州町(旧中巨摩郡白洲町)で、有機農業を営んでいる。



 「場踊り」のあと、この場所で交流会が行われた。薪の様子がいい。



 交流会の様子 ―― その1 ――
 田中泯さんも出席予定だったが、演舞の体力消耗が激しく欠席された。残念!!
 


 交流会の様子―― 2 ――

 奇遇にもこの交流会会場に「らせん劇場」の元団員の方がいて、話が盛り上がった。
 帰りは愛野駅まで車で送っていただくというラッキーなこともあった。



  


Posted by 安倍七騎 at 03:11Comments(0)催事

2008年09月17日

“安倍七騎アドバイザー”もいる(vol.68)

9月13日(土)、清水区桜ヶ丘にある静岡市岡生涯学習交流館にて、「 安倍七騎―― 安倍奥の七人の侍伝説 ―― 」と題した、静岡歴史講座を行いました。

当初、当交流館からお話をいただいたときは、「70歳代を中心とした桜花大学の方を対象とした講座で」とのことでしたが、一般募集もかけることになり、『広報静岡 静岡気分』に、騎馬武者のカラーイラスト入りでお知らせが載りました。

さて、どれくらいの人が来てくれるか――?
安倍七騎は、安倍川上流域が主な舞台なので、ここ清水の桜ヶ丘にどれくらいの人数が集まるか、正直なところ不安でした。

午後1時45分。南幹線の渋滞をくぐり抜け、開講15分前に会場へ到着。会場に入ると、予想外に満席で、補助椅子も出るといった具合(定員100人のところ、受講者は170名)。私の不安がいい具合に外れてくれましたが、この思いがけない来場者数が、ちょっとプレッシャーになりました。

で、2時間にわたる講座を終えての反省点――。
この2時間を「起承転結」になぞると、講座の「起」の部分、即ち、小説『安倍七騎』のベースとなる歴史考証の話が長すぎたかったかな……と、いった点。実はこれは、“安倍七騎アドバイザー”であるA原さんK見さんのご発言。

現に、A原さんなぞは、その名刺に「安倍七騎アドバイザー」と書いてあります。
「へ~っ、いつの間に……」と、私。

安倍七騎アドバイザーのおふたかた、これからもご指摘お願いします!!

ちなみに、次回の講座は、12月20日(土)、葵区のアイセル21で予定(今度は3人からなる“安倍奥リレー講座”になりそう)。

今回の講座終了後、色々な方が来てくれました。
質問者、安倍奥の歴史について情報を提供してくださる方、また、亡父の友人の方など――。
それから、「老後をどのように過ごそうか考えていたけど、郷土史の勉強をすることに決めました。今日は来てよかった」といってくれた方もいました。これには、岡生涯学習交流館さんの講座の主旨にかなった話ができたなと、嬉しくおもいました。

ほかにも励みになるお言葉をたくさんいただきました。

みなさん、ありがとうございました!!

  


Posted by 安倍七騎 at 01:09Comments(0)徒然

2008年09月14日

東西「物の怪」考(vol.67)

9月も半ば、今日は中秋の名月――。しかし、日中の暑さは未だもって尋常でない。

NHK-bs番組で、黒澤明特集をやっている。はや没後10年となるか――。
『安倍七騎』も、黒澤明監督映画の影響を少なからず受けている。たとえば、侍のはなし言葉に、

「○○で御座る」

などと出てくる。『安倍七騎』では「ござる」ではなく、「御座る」とした。これは、黒澤戦国映画の台本での表記である。
また、『影武者』などは、“その他大勢”のなかに安倍七騎が混じっていたであろう。

さて、標記のこと――。
先日、『蜘蛛巣城』(くものすじょう)という古い映画をやっていた。
白黒なので、画は黒の濃淡で表現される。
それが、この映画に出てくる「物の怪(もののけ)」の存在感を、より一層つよくしていた。

「幽霊」とは、「幽かな御霊(かすかなみたま)」のことである。
ぼんやりと現われるその「物の怪」は、「幽霊」そのもの。蜘蛛手の森にひっそりと佇むあばら屋のなかで、静かに静かに糸車をまわし、何かを今際(いまわのきわ)のような息づかいで唄っている。実際、映画では何を歌っているのか聞き取れない。

けれど、その「静」が、視聴者の「恐いもの見たさ」を駆り立てる。消え入りそうなその佇まい、それから、歌のいわんとしていることは何なのか――。これには、つい傍耳を立ててしまい、その雰囲気に吸い込まれてしまう。

片や、西洋の「物の怪」――。
その代表格が、狼男ドラキュラフランケンシュタインであるが、こちらは、

ガバーッ!!

という表現がピッタリだ。これでもかこれでもか――と、逃げても逃げても追いかけてくるといった具合である。いうなれば、「動の物の怪」である。いや、これらは「物の怪」ではなく、「モンスター」といった別物なのかもしれない。ちょうど、「野球」「ベースボール」とが別物のように。

また、これらの対比は、イソップ物語の『北風と太陽』といった感もある。
被る側の立場の者が、自らの意志によってどのような行動を起すか――。
そう考えると、「太陽」、すなわち「物の怪」(――「モンスター」でない――)に軍配が上がるように思う。

ちなみに、蜘蛛手の森に棲む「物の怪」――。
これは、能の『黒塚(安達原)』(くろづか(あだちがはら))にヒントを得たとのことであるが、
以下、「物の怪」が唄う歌である。


あさましや あさましや
などて人の世に生(しょう)をうけ
虫のいのちの細々と
身を苦しむる愚かさよ

それ人間のなりわいは
五慾(ごよく)の炎に身をこがし
五濁(ごじょく)の水に身をさらし
業の上には業を積み

迷いの果てに行きつけば
腐肉破れて花と咲き
悪臭かえって香(か)を放つ
面白の人の命や
おもしろや おもしろや


この歌の節々を、「物の怪」は語尾をのばして唄う。その度に、地獄のそこへ引きずり込まれるかのような、低くて暗い音が纏わりついてくる。
これは、当時の音声技術の精度の荒さによるものなのか――、黒澤監督が意図したものなのか――、はたまた、この映画にとり憑いた「物の怪」の仕業によるものなのか――、『蜘蛛巣城』を見るたびに考えさせられる。

    

           
  


Posted by 安倍七騎 at 16:04Comments(0)徒然

2008年09月07日

講演後の談義から(vol.66)

9月4日(木)は、静岡浅間神社で、1時間半の講演を行いました。もちろん、「安倍七騎」のお話です。間に休憩をいれずの1時間半のお話は、今回がはじめてで、1時間を過ぎるころには口がカラカラになってきました。それでも、私の場合はパワーポイントを使うので、比較的ラクな進め方なのかもしれません。

さて、無事おつとめを終え、片付けをはじめていると、ふたりの方が歩み寄ってきました。

ひとりは、『安倍七騎』に登場する武田の重臣で、鬼美濃と渾名された馬場美濃守の末裔の方(馬場さん)、それから、もうひとかたは、安倍七騎のひとり、望月四郎右衛門の末裔の方(望月さん)でした。しばし、このおふたかたと歴史談義となりました。

馬場さんのお話によると、柳営会という組織があるそうで、これは当代の徳川宗家を頂点とし、徳川家臣団の末裔で構成される会だそうです。

武田家滅亡後、「赤備え衆」(山県昌景を大将に頂いた、赤い武具で身を固めた武田の強力軍団)を徳川の井伊直政が引き取って「井伊の赤備え衆」としたように、徳川氏は、武田の武士団を多く抱えました。そんなことで、馬場氏も徳川家臣に組み入れられ、馬場さんもこの柳営会の会員だそうです。

この柳営会、階級のけじめがしっかりしていて、「御目見え以上」など、宗家に拝謁できる身分の人と、拝謁できない身分の人がいるとか――。

さて、望月さんのお話――。
拙著『安倍七騎』では、杉山小兵衛が弓矢で軍勢を追い返したことにより、葵区俵峰のある場所に「引落シ」という地名がついたと触れましたが、望月さんによると、弓で敵を追い返したのは、望月四郎右衛門だそうです。

最初、四郎右衛門は敵勢の旗指物をパーンと射抜き、そのあと、「今のはまぐれだ!」と大声を発した敵の大将を二ノ矢で射殺したそうです。どちらが本当なのかはわかりませんが、望月さんの話のほうがふくらみがあって、真実味をおびています。

また、四郎右衛門は小兵衛の舎弟分だったとか――。この点は、拙著と符合しました。

このように、講演後の談義からいろいろと得るものがあります。

私の繰り広げた話を気遣ってのことか(――この講演会で、私は「杉山小兵衛が縁起となって、“引落シ”の地名がつきました」などとパワーポイントで紹介――)、こそこそっと講演会が終わった後にやってこられ、こんな話もあるんだよと、コソッと言っていかれます。

今週の土曜日は、岡生涯学習交流館で講演です。さて、今度はどんなお話が聞けるのか――。


  ―― 歴史講座 安倍七騎 ――

  日   時  : 9月13日(土)、午後2時から4時
  会   場  : 静岡市岡生涯学習交流館
  対   象  : どなたでも100人(無料)
  お申込み : 当日、会場へ直接行ってください(公共の交通機関をご利用ください)。
  お問合せ : 静岡市岡生涯学習交流館(静岡市清水区桜ヶ丘7番1号) ℡ 054-354-1350

 * 今回は清水区での講演なので、戦国時代の清水湊のことなどについても触れたいと思います。









  


Posted by 安倍七騎 at 23:31Comments(0)徒然

2008年09月02日

越後妻有大地の祭り(vol.65)

このお祭りは「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009」http://www.echigo-tsumari.jp)に向けたプレイベントで、越後妻有(えちごつまり・新潟県十日町市、津南町)で、8月1日から31日にかけて行われたイベントでした。

そのコンセプトは、「真夏の里山体験、祭りと現代アート」。妻有地区の野山に展示(設置)された160を超える作品を道しるべに里山をめぐり、豊かな越後妻有の自然と人々のぬくもりに触れようといったもので、“オリエンテーリングのアート版”といった感がありました。

また、作品は露天展示だけでなく、改築した古民家を陶芸展の会場としてつかったり(1階を喫茶室、2階を陶芸の展示室)、木造公民館を改造して、郷土の発明家やその作品を紹介したものもありました。

この改造公民館の会場に到着したときは夕方5時、丁度公民館の入口に施錠していたときでした。私たちが静岡からやってきたことをいうと、「それでは」と再び錠を開けてくれ、作品の説明を懇切丁寧にしてくれました。アートにふれるだけでなく、地元の方の思いやりのある優しい心にもふれました。

また、160を超えるアートとなると、「これはどうかな?」と思うものもあります。
造りっぱなしで、管理がいきとどいていないもの――地面にすえつけた平面作品の真ん中に草が生えていた――があったり、また、景観と不釣合い(若しくは、景観を損ねかねない)ものがあったりなど・・・。作り手が「これが現代アートだ」と言い切ればそれまでだが、それではあまりにも無責任!!

このような里山にアートをとりいれたイベントは、「その土地の文化と和合する作品であること」「地元の方々のやる気と協力があってなりたつこと」「自然や来観者に対して、思いやりのあふれるものであること」ということが大事だという感想をもちました。


  ↓ 画像をクリックしてください。



 ほくほく線「まつだい駅」付近の風景。カラーボードは、田植えや代かきなどの田仕事を模っている。



 「まつだい駅」ちかくにあった橋の名前。こんなのが妙に気になります。



 きれいですなぁ~。



 樹にからめた作品。



 林のなかに現われた造形。
 これは何でしょうなぁ・・・?



 「農舞台」でのコンサート。ステージは、籐や織物でつくられた作品に囲まれていました。自然との融合を考えた場合、“素材選びの大切さ”を実感しました。



 松代(まつだい)の風景 ――その1――



 松代の風景 ――その2―― 



 松之山地区の棚田



 「新潟県森林浴の森百選」に選ばれた「美人林」。親切にも、宿泊した「グリーンハウス里美」(025-596-3492)の青年が案内してくれた。



 赤谷十二社の大欅(おおけやき)。推定樹齢1200年。坂上田村麻呂が植えたと伝えられ、この樹皮を身につけて戦に赴くと武運に恵まれるといわれている。



 母と娘の悲話をもつ「鏡が池」。



 「鏡が池」ほとりに咲く野菊。











 
  
 




  


Posted by 安倍七騎 at 00:44Comments(0)催事