2008年09月21日
田中泯さんの「場踊り」(vol.69)
田中泯(たなか・みん)といえば、映画「たそがれ清兵衛」で、真田広之演じる平口清兵衛の敵役として、余吾善右衛門を演じた。そして、この映画で、58歳にして日本アカデミー賞最優秀助演賞並びに新人賞と、キネマ旬報新人賞を受賞した。
「たそがれ清兵衛」では、藩から切腹を命じられたことを不服とする善右衛門と、これを「上意討ち」とすることを藩命として授かった清兵衛とが斬り合う。この殺陣も目を見張ったが、善右衛門が抱えざるをえなかった鬱積をスクリーンでみごとに醸しだし、ひときわ異彩を放っていた。
さて、泯さんのことである(――と切り出しつつも、「泯」とは「亡ぶ」の意であると、いきなり話が横道にそれた)。
9月15日、泯さんが袋井にある「楽土舎」で、「場踊り」なるものを踊った。
そのパンフレットによると、「劇場空間を離れて2年半、舞踊家・田中泯は、前衛と伝統の融合を求めるエトランジェとして『場踊り』を展開」とある。
つまり、「劇場ではなく、屋外で繰り広げられるひとり踊り」ということだ。
この日の舞台は、土の平場、小高い瓦礫場、「石ノ舞台」という5m四方ほどの台場で、舞台幅にして15m、奥行きが7~8mといったところ。そして、舞台と客席の間には、茨のごとく棘棘とした一本の鉄線がはってあり、舞台袖が森といった具合だ。
主催者「楽土舎」(http://www3.tokai.or.jp/rakudosha/)の松田さんの話によると、「どこで踊るか」というのも開演の数時間前に決まった(泯さんが決めた)――、という。
夕方の6時半。森から、泯さんが松明をかざしてそろりそろりと出てくる。全般にわたって静かな所作の踊りだが、舞いは足の指の先まで緊張が漲っており、見るものの息を詰まらせる。
先の松田さんの話によると、「雨が降らないかなぁ…」と、開演前に泯さんが呟いたそうだが、折りしも雨。雨が舞台を照らす電球を線となってかすめる。やがて、雨の線に打たれる泯さんの体から、汗が湯気となって立ち昇ってゆく。
私は、舞踊を間近で見るのは初めて。まして前衛のそれとなると、素人の私には解し得ないところもあったが、醸しだす何かがひしひしと伝わって来、鳥肌がたった。「なんだかよく解らないけど鳥肌がたっちゃう」というのが、前衛の前衛たる所以なのかもしれない。
↓ 画像をクリックすると、拡大されます。
場踊りの様子は撮影禁止であったため、画像はありません。悪しからず

「楽土舎」への入口

「楽土舎」へのエントランス

「楽土舎」のなかの様子

「場踊り」の受付

「場踊り」客席の様子

泯さんがつくった農作物、泯さんは、山梨県北杜市白州町(旧中巨摩郡白洲町)で、有機農業を営んでいる。

「場踊り」のあと、この場所で交流会が行われた。薪の様子がいい。

交流会の様子 ―― その1 ――
田中泯さんも出席予定だったが、演舞の体力消耗が激しく欠席された。残念!!

交流会の様子―― 2 ――
奇遇にもこの交流会会場に「らせん劇場」の元団員の方がいて、話が盛り上がった。
帰りは愛野駅まで車で送っていただくというラッキーなこともあった。
「たそがれ清兵衛」では、藩から切腹を命じられたことを不服とする善右衛門と、これを「上意討ち」とすることを藩命として授かった清兵衛とが斬り合う。この殺陣も目を見張ったが、善右衛門が抱えざるをえなかった鬱積をスクリーンでみごとに醸しだし、ひときわ異彩を放っていた。
さて、泯さんのことである(――と切り出しつつも、「泯」とは「亡ぶ」の意であると、いきなり話が横道にそれた)。
9月15日、泯さんが袋井にある「楽土舎」で、「場踊り」なるものを踊った。
そのパンフレットによると、「劇場空間を離れて2年半、舞踊家・田中泯は、前衛と伝統の融合を求めるエトランジェとして『場踊り』を展開」とある。
つまり、「劇場ではなく、屋外で繰り広げられるひとり踊り」ということだ。
この日の舞台は、土の平場、小高い瓦礫場、「石ノ舞台」という5m四方ほどの台場で、舞台幅にして15m、奥行きが7~8mといったところ。そして、舞台と客席の間には、茨のごとく棘棘とした一本の鉄線がはってあり、舞台袖が森といった具合だ。
主催者「楽土舎」(http://www3.tokai.or.jp/rakudosha/)の松田さんの話によると、「どこで踊るか」というのも開演の数時間前に決まった(泯さんが決めた)――、という。
夕方の6時半。森から、泯さんが松明をかざしてそろりそろりと出てくる。全般にわたって静かな所作の踊りだが、舞いは足の指の先まで緊張が漲っており、見るものの息を詰まらせる。
先の松田さんの話によると、「雨が降らないかなぁ…」と、開演前に泯さんが呟いたそうだが、折りしも雨。雨が舞台を照らす電球を線となってかすめる。やがて、雨の線に打たれる泯さんの体から、汗が湯気となって立ち昇ってゆく。
私は、舞踊を間近で見るのは初めて。まして前衛のそれとなると、素人の私には解し得ないところもあったが、醸しだす何かがひしひしと伝わって来、鳥肌がたった。「なんだかよく解らないけど鳥肌がたっちゃう」というのが、前衛の前衛たる所以なのかもしれない。
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場踊りの様子は撮影禁止であったため、画像はありません。悪しからず
「楽土舎」への入口
「楽土舎」へのエントランス
「楽土舎」のなかの様子
「場踊り」の受付
「場踊り」客席の様子
泯さんがつくった農作物、泯さんは、山梨県北杜市白州町(旧中巨摩郡白洲町)で、有機農業を営んでいる。
「場踊り」のあと、この場所で交流会が行われた。薪の様子がいい。
交流会の様子 ―― その1 ――
田中泯さんも出席予定だったが、演舞の体力消耗が激しく欠席された。残念!!
交流会の様子―― 2 ――
奇遇にもこの交流会会場に「らせん劇場」の元団員の方がいて、話が盛り上がった。
帰りは愛野駅まで車で送っていただくというラッキーなこともあった。