2008年09月07日

講演後の談義から(vol.66)

9月4日(木)は、静岡浅間神社で、1時間半の講演を行いました。もちろん、「安倍七騎」のお話です。間に休憩をいれずの1時間半のお話は、今回がはじめてで、1時間を過ぎるころには口がカラカラになってきました。それでも、私の場合はパワーポイントを使うので、比較的ラクな進め方なのかもしれません。

さて、無事おつとめを終え、片付けをはじめていると、ふたりの方が歩み寄ってきました。

ひとりは、『安倍七騎』に登場する武田の重臣で、鬼美濃と渾名された馬場美濃守の末裔の方(馬場さん)、それから、もうひとかたは、安倍七騎のひとり、望月四郎右衛門の末裔の方(望月さん)でした。しばし、このおふたかたと歴史談義となりました。

馬場さんのお話によると、柳営会という組織があるそうで、これは当代の徳川宗家を頂点とし、徳川家臣団の末裔で構成される会だそうです。

武田家滅亡後、「赤備え衆」(山県昌景を大将に頂いた、赤い武具で身を固めた武田の強力軍団)を徳川の井伊直政が引き取って「井伊の赤備え衆」としたように、徳川氏は、武田の武士団を多く抱えました。そんなことで、馬場氏も徳川家臣に組み入れられ、馬場さんもこの柳営会の会員だそうです。

この柳営会、階級のけじめがしっかりしていて、「御目見え以上」など、宗家に拝謁できる身分の人と、拝謁できない身分の人がいるとか――。

さて、望月さんのお話――。
拙著『安倍七騎』では、杉山小兵衛が弓矢で軍勢を追い返したことにより、葵区俵峰のある場所に「引落シ」という地名がついたと触れましたが、望月さんによると、弓で敵を追い返したのは、望月四郎右衛門だそうです。

最初、四郎右衛門は敵勢の旗指物をパーンと射抜き、そのあと、「今のはまぐれだ!」と大声を発した敵の大将を二ノ矢で射殺したそうです。どちらが本当なのかはわかりませんが、望月さんの話のほうがふくらみがあって、真実味をおびています。

また、四郎右衛門は小兵衛の舎弟分だったとか――。この点は、拙著と符合しました。

このように、講演後の談義からいろいろと得るものがあります。

私の繰り広げた話を気遣ってのことか(――この講演会で、私は「杉山小兵衛が縁起となって、“引落シ”の地名がつきました」などとパワーポイントで紹介――)、こそこそっと講演会が終わった後にやってこられ、こんな話もあるんだよと、コソッと言っていかれます。

今週の土曜日は、岡生涯学習交流館で講演です。さて、今度はどんなお話が聞けるのか――。


  ―― 歴史講座 安倍七騎 ――

  日   時  : 9月13日(土)、午後2時から4時
  会   場  : 静岡市岡生涯学習交流館
  対   象  : どなたでも100人(無料)
  お申込み : 当日、会場へ直接行ってください(公共の交通機関をご利用ください)。
  お問合せ : 静岡市岡生涯学習交流館(静岡市清水区桜ヶ丘7番1号) ℡ 054-354-1350

 * 今回は清水区での講演なので、戦国時代の清水湊のことなどについても触れたいと思います。











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Posted by 安倍七騎 at 23:31│Comments(0)徒然
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