2008年09月14日

東西「物の怪」考(vol.67)

9月も半ば、今日は中秋の名月――。しかし、日中の暑さは未だもって尋常でない。

NHK-bs番組で、黒澤明特集をやっている。はや没後10年となるか――。
『安倍七騎』も、黒澤明監督映画の影響を少なからず受けている。たとえば、侍のはなし言葉に、

「○○で御座る」

などと出てくる。『安倍七騎』では「ござる」ではなく、「御座る」とした。これは、黒澤戦国映画の台本での表記である。
また、『影武者』などは、“その他大勢”のなかに安倍七騎が混じっていたであろう。

さて、標記のこと――。
先日、『蜘蛛巣城』(くものすじょう)という古い映画をやっていた。
白黒なので、画は黒の濃淡で表現される。
それが、この映画に出てくる「物の怪(もののけ)」の存在感を、より一層つよくしていた。

「幽霊」とは、「幽かな御霊(かすかなみたま)」のことである。
ぼんやりと現われるその「物の怪」は、「幽霊」そのもの。蜘蛛手の森にひっそりと佇むあばら屋のなかで、静かに静かに糸車をまわし、何かを今際(いまわのきわ)のような息づかいで唄っている。実際、映画では何を歌っているのか聞き取れない。

けれど、その「静」が、視聴者の「恐いもの見たさ」を駆り立てる。消え入りそうなその佇まい、それから、歌のいわんとしていることは何なのか――。これには、つい傍耳を立ててしまい、その雰囲気に吸い込まれてしまう。

片や、西洋の「物の怪」――。
その代表格が、狼男ドラキュラフランケンシュタインであるが、こちらは、

ガバーッ!!

という表現がピッタリだ。これでもかこれでもか――と、逃げても逃げても追いかけてくるといった具合である。いうなれば、「動の物の怪」である。いや、これらは「物の怪」ではなく、「モンスター」といった別物なのかもしれない。ちょうど、「野球」「ベースボール」とが別物のように。

また、これらの対比は、イソップ物語の『北風と太陽』といった感もある。
被る側の立場の者が、自らの意志によってどのような行動を起すか――。
そう考えると、「太陽」、すなわち「物の怪」(――「モンスター」でない――)に軍配が上がるように思う。

ちなみに、蜘蛛手の森に棲む「物の怪」――。
これは、能の『黒塚(安達原)』(くろづか(あだちがはら))にヒントを得たとのことであるが、
以下、「物の怪」が唄う歌である。


あさましや あさましや
などて人の世に生(しょう)をうけ
虫のいのちの細々と
身を苦しむる愚かさよ

それ人間のなりわいは
五慾(ごよく)の炎に身をこがし
五濁(ごじょく)の水に身をさらし
業の上には業を積み

迷いの果てに行きつけば
腐肉破れて花と咲き
悪臭かえって香(か)を放つ
面白の人の命や
おもしろや おもしろや


この歌の節々を、「物の怪」は語尾をのばして唄う。その度に、地獄のそこへ引きずり込まれるかのような、低くて暗い音が纏わりついてくる。
これは、当時の音声技術の精度の荒さによるものなのか――、黒澤監督が意図したものなのか――、はたまた、この映画にとり憑いた「物の怪」の仕業によるものなのか――、『蜘蛛巣城』を見るたびに考えさせられる。

    

           東西「物の怪」考(vol.67)


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Posted by 安倍七騎 at 16:04│Comments(0)徒然
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