2009年06月04日
京都から足をのばして…(vol.127)
大阪の司馬遼太郎記念館へ行ってきました。
一週間にわたる京都での仕事を終え、その翌日(6月2日)は休暇をいただきました。
仕事を終え、ホテルに帰っての楽しみは、本を読むこと。
丁度、『翔ぶがごとく』の第十巻目(最終巻)を読み終えたところ、巻末に記念館への案内が載っていました。
京都駅から、近鉄京都線で大和西大寺へ。そこで近鉄奈良線に乗り換えて八戸ノ里(やえのさと)で下車。
駅から歩いて約10分のところに、記念館はありました。
4万冊にも及ぶ資料を読み、それを基に独自の史観をつむぎ出すといった作業には、改めて感服いたしました。
「遼か司馬遷には及ばず」とした、司馬遼太郎というペンネームは(本名 福田定一)、改めて謙遜のようにも思いました。
壁一面には蔵書が展示してあります。圧巻でした。また、先生が書かれた絵画も展示してありそれに添える言葉も深いものでした。
面白いことに、館内の天井には紙魚があり(天井はコンクリート)、それが坂本龍馬の顔に見えるのです。これは新聞の記事にもなっており、その記事も“龍馬像”のあたりに展示されていました。あいにく、館内は撮影禁止なので画像をお見せすることはできません。興味のある方は是非自分の目でお確かめください。

司馬遼太郎記念館

司馬遼太郎先生の本名は福田定一

門を入り庭道を進むと、司馬先生の書斎が見える。
室内は、絶筆時(『街道をゆく ― 濃尾三州記 ―』を書いていたとき)のまま

さらに進むと、司馬遼太郎記念館へ

庭先に猫がいた
一週間にわたる京都での仕事を終え、その翌日(6月2日)は休暇をいただきました。
仕事を終え、ホテルに帰っての楽しみは、本を読むこと。
丁度、『翔ぶがごとく』の第十巻目(最終巻)を読み終えたところ、巻末に記念館への案内が載っていました。
京都駅から、近鉄京都線で大和西大寺へ。そこで近鉄奈良線に乗り換えて八戸ノ里(やえのさと)で下車。
駅から歩いて約10分のところに、記念館はありました。
4万冊にも及ぶ資料を読み、それを基に独自の史観をつむぎ出すといった作業には、改めて感服いたしました。
「遼か司馬遷には及ばず」とした、司馬遼太郎というペンネームは(本名 福田定一)、改めて謙遜のようにも思いました。
壁一面には蔵書が展示してあります。圧巻でした。また、先生が書かれた絵画も展示してありそれに添える言葉も深いものでした。
面白いことに、館内の天井には紙魚があり(天井はコンクリート)、それが坂本龍馬の顔に見えるのです。これは新聞の記事にもなっており、その記事も“龍馬像”のあたりに展示されていました。あいにく、館内は撮影禁止なので画像をお見せすることはできません。興味のある方は是非自分の目でお確かめください。
司馬遼太郎記念館
司馬遼太郎先生の本名は福田定一
門を入り庭道を進むと、司馬先生の書斎が見える。
室内は、絶筆時(『街道をゆく ― 濃尾三州記 ―』を書いていたとき)のまま
さらに進むと、司馬遼太郎記念館へ
庭先に猫がいた