2012年01月13日

遅れ馳せながら―、(vol.228)

目下3ヶ月になる娘の世話で、ブログも疎かな状態です。
遅れ馳せながら、皆さま、明けましておめでとうございます。

昨年は世間的にみると、震災一色の感で一年が終えました。
今年は安らぎの年でありますよう、心から祈ります。

さて、正月2日には、静岡の義叔父(東京大森、昭和5年生まれ)が遊びに来、昭和20年の終戦日のころの
話をしてくれました。
当時、義叔父自身は、彼の父と静岡の天王町に住んでいて、彼の母と妹が、玉川は上助にあった三軒長屋に疎開していたそうです。そのころの静岡市街は空襲で焼け野原だったそうです。だから、天王町の家も掘っ立て小屋だったそうです。
終戦のその日、義叔父は天王町の自宅から自転車(自転車といっても、タイヤがゴムホースのようなもので、すぐにホイールから外れた)で玉川に向かいました。当時、牛妻の玉機橋は、大雨によって一部が破壊され(木造だった)、渡るのに苦労したそうです。
なんとか、油山側に渡り、松野あたりまできたころ、大勢の大人たちが外で話をしていました。
「おじさん、どうしたの?」と訊くと、
「日本が戦争に負けたんだって」
「そうか、負けたのか‥」
「何処へ行くんだ?」
「おふくろさんと妹が玉川の星野さんところへ疎開しているから、これから行くんだよ」
「そうか、けどもう戦争は終わったから、もう行かなくてもいいんだよ」
なんて、会話があったそうです。




Posted by 安倍七騎 at 21:54│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
遅れ馳せながら―、(vol.228)
    コメント(0)