2011年06月05日
産女観音さん(vol.204)
今年の春のことですが、出産を控えた妻と産女山正信院(うぶめさんしょうしんいん)へ行ってきました。
ここは、安産祈願のお寺です。
戦国時代、今川氏真が甲斐の武田氏によって駿河府中を追われるとき、その家臣、牧野喜藤兵衛(まきの・きとうべい)も氏真とともに落ち延びました。そのとき、身重だった藤兵衛の妻も一緒でしたが、正信院の近くで産気づき、ついにそこで死んでしまいました。
それからというもの、夜な夜な妻が亡霊となって「産むのを手伝ってほしい」と村人に訴えるので、村人が「既に亡くなってしまわれたので、私達にはどうすることもできません」と告げると、「我が夫の兜のしころの内側に、家伝の千手観音様があります。この仏様に祈ってくださればよいのです」と言い、さらに「みなさんもこの千手観音様に手を合せると、安産になるでしょう」と告げました。
村人たちは妻の言うとおりにすると、妻が今一度亡霊となって現われて、「この村をお守りしたいと思いますので、私を祀ってください」と言ったので、村人は「産女大明神」として祀りました。
爾来、村ではお産で苦しむ者がいなくなったといいます。
この伝説は、同時にこの村の名「産女(うぶめ)」の由来となるのです。
ここは、安産祈願のお寺です。
戦国時代、今川氏真が甲斐の武田氏によって駿河府中を追われるとき、その家臣、牧野喜藤兵衛(まきの・きとうべい)も氏真とともに落ち延びました。そのとき、身重だった藤兵衛の妻も一緒でしたが、正信院の近くで産気づき、ついにそこで死んでしまいました。
それからというもの、夜な夜な妻が亡霊となって「産むのを手伝ってほしい」と村人に訴えるので、村人が「既に亡くなってしまわれたので、私達にはどうすることもできません」と告げると、「我が夫の兜のしころの内側に、家伝の千手観音様があります。この仏様に祈ってくださればよいのです」と言い、さらに「みなさんもこの千手観音様に手を合せると、安産になるでしょう」と告げました。
村人たちは妻の言うとおりにすると、妻が今一度亡霊となって現われて、「この村をお守りしたいと思いますので、私を祀ってください」と言ったので、村人は「産女大明神」として祀りました。
爾来、村ではお産で苦しむ者がいなくなったといいます。
この伝説は、同時にこの村の名「産女(うぶめ)」の由来となるのです。