2008年02月23日
奥藁科 栃沢のみなさんとの交流(vol.22)
私が初めて栃沢を訪れたのは、平成17年6月9日でした。『安倍七騎』の「第三章 坂本姫」を書いている途中で、想像に任せてペンを進めているうちに、土地勘などがおぼつかなくなり、「はて、筒野城落城ののち、城主高瀧将監の娘はどこの山へ逃げたのだろうか?」と、確認作業のために訪れたのでした。
この日、私は栃沢の背後にある突先山(「とっさきやま」/旧称:千柄山「ちがらやま」・標高1021m)に登り、その帰り際に、運よく郷土史に詳しい出雲武さん(平成20年現在87歳)にお会いし、それがご縁で、度々こちらへ伺うようになりました。
出雲さんは、春秋に行われる栃沢の子安神社(こやすじんじゃ)のお祭りに私を呼んでくださいます。また、毎春にこの集落挙って行われるお茶会にもお招きくださり、そして、その縁で、世界お茶博で銀賞を受賞した山水園(*)の内野清己さんと知り合って、さらには、この山間の集落に活気を吹き込む「たぬき村」の池田庭子(いけだ・ていこ)さんと常葉大学の学生さん、「たぬき村」をサポートする相墨清治(あいずみ・せいじ)さん、お茶の先生でもあるFMhi!ナビゲーターの相川香さんなどとの交流の輪が広がっていきました。
去る2月11日の「建国記念の日」、この日も出雲さんは、私を子安神社の例祭に招いてくださいました(例祭は、毎年2月11日と、11月3日に行われます)。このお祭りで出雲さんは古式ゆかしき舞を舞います。これを見たいがために、私は栃沢へ向かいました。が、あいにくこの日、午前中に所用があり、舞を見ることができませんでした。子安神社に着いたときは、もう後片付けの頃――。これは残念でしたが、元気な出雲に会えて、これはこれで良しとするかと思い直し、後片付けの群れに加わりました。
神社で出雲さんと別れたあと、私は、「たぬき村」を訪れました。「たぬき村」は築100年以上も前の家を中心として、その周りに、陶器を焼く竃(かまど)や、露天風呂(沢沿いにあって風情がある)などの施設があります。ここに常葉大学の学生さんが週末やお祭りのときなどにやって来て、栃沢の人たちと交流を図るのです。
「こんにちは」と、敷居を跨(また)ぐと、奥から「は~い」と張りのある元気な声が迎えてくれました。声の主は相墨さん。相墨さんとは、昨秋に行われた山水園でのお茶会以来でした。何人かの方で、囲炉裏を囲んでいらっしゃる。私もその輪の中に混ぜてもらい、また新しい交流の輪が広がりました。いらした方々は、常葉大学で造形学の教鞭をとられる清水先生、出雲昭治さん、出雲正市さん(ふたりの出雲さんは、出雲武さんのご一党)――。相墨さんは囲炉裏火で炊いたお湯でお茶を淹れてくれ、また、漬物を出してくれました。これがまた美味しい!! しばし、くゆり立つホタ火を囲んで、出雲家のご先祖のはなし、戦時中の正市さんの体験談(アメリカの爆撃機であるB29を撃ち落す最新式の高射砲を撃った、とか、原爆直後の広島を訪れたことなど――)、それから、栃沢の昔話(戦国落人 勝見氏のはなし、昭和初期におきた「栃沢の大火」のはなしなど――)などのはなしに耳を傾けました。
やぁ――、栃沢は面白し!! みなさんも、栃沢へ是非!!
たぬき村の囲炉裏端にて ―― (右から)相墨さん、出雲昭治さん、出雲正市さん。お孫さんの「おじいちゃんが心配で、迎えに来たよ」の言葉に、笑顔で応える正市さん。奥ではお酒に酔った学生さんが、すやすやと寝息をたてていました。
* * * * 追 記 * * * *
山 水 園
毎年春と秋にお茶会が開かれます。
昨年の例でいきますと、このお茶会は、屋内での啜り茶、お抹茶などのほか、野点(のだて)や茶摘み体験などもさせてくれます。また、お茶会の待ち時間には、おむすびや漬物、お味噌汁などを振舞ってくれ、さらには、袋に「おかげさんで」と記した、お茶のお土産まで持たせてくれました。これらは何れも無料でした。
感謝、感謝――。
( 山水園連絡先 / 住所:静岡市葵区栃沢421番地 電話:054-291-2219 )