2008年10月06日
伝承のはらむもの(vol.72)
歴史ものを書くとき、筋書きの裏づけに土地の伝承を紹介したり、また、そのものに肉付けして物語を書くことがある。
『安倍七騎』でも、安倍奥にのこる伝承をたよりに、ストーリーを進めたところがある。
『安倍七騎』でとりあげた伝承のうち、諸説あるものとして――、
【坂本姫のこと】
・坂本姫は上臈の段で死に、姫山神として祀られた。
・坂本姫は水の便のわるい上臈の段から、米沢村の長者屋敷に移り住んだ。
【柿島村名主朝倉氏のこと】
・海路で越前から駿河に落ち延びる際、穴のあいた船底に鮑がはりつき難破をまぬがれた。
・古代、朝鮮での兵役の際、穴のあいた船底に鮑がはりつき難破をまぬがれた。
【8月に行われる上落合の大施餓鬼会は――】
・大石五郎右衛門と浦田長次郎を祀るためのものである。
・大石五郎右衛門と黒目が二っ子(*)を祀るためのものである。
*「黒目が二っ子」のはなし : 上落合のある家に、眼球に黒目がふたつある子が生まれた。その子が13歳のときに朝倉の殿さまが来たが、その子が殿さまにむかって尻をまくってたたいたので、殿さまは怒り、投獄のうえ殺した。
といったものがある。
また、奥仙俣の孫三郎という16歳の青年のことについては、以下の伝承がある。
美濃国からこの地へ来て、金鉱夫として働いた孫三郎は、病を得たあとの今際の際、看病してくれた浦田氏に、「もし死後祀ってくださるならご恩返しに歯の痛みを治しましょう」と言って死んだ。浦田氏はその言葉のとおりに孫三郎を祀ったら、霊験あらたかに歯痛でなやむことがなくなった。
といったものである。これにも2説あり、「歯」ではなく「目」だとする説がある。
いずれにせよ、これらの伝承は、何百何十年にわたって、人という器を介して移しかえられてきたものである。
であるから、伝承とは、伝言ゲーム的なおぼつかなさを常にはらんでいるものと言えまいか。
『安倍七騎』でも、安倍奥にのこる伝承をたよりに、ストーリーを進めたところがある。
『安倍七騎』でとりあげた伝承のうち、諸説あるものとして――、
【坂本姫のこと】
・坂本姫は上臈の段で死に、姫山神として祀られた。
・坂本姫は水の便のわるい上臈の段から、米沢村の長者屋敷に移り住んだ。
【柿島村名主朝倉氏のこと】
・海路で越前から駿河に落ち延びる際、穴のあいた船底に鮑がはりつき難破をまぬがれた。
・古代、朝鮮での兵役の際、穴のあいた船底に鮑がはりつき難破をまぬがれた。
【8月に行われる上落合の大施餓鬼会は――】
・大石五郎右衛門と浦田長次郎を祀るためのものである。
・大石五郎右衛門と黒目が二っ子(*)を祀るためのものである。
*「黒目が二っ子」のはなし : 上落合のある家に、眼球に黒目がふたつある子が生まれた。その子が13歳のときに朝倉の殿さまが来たが、その子が殿さまにむかって尻をまくってたたいたので、殿さまは怒り、投獄のうえ殺した。
といったものがある。
また、奥仙俣の孫三郎という16歳の青年のことについては、以下の伝承がある。
美濃国からこの地へ来て、金鉱夫として働いた孫三郎は、病を得たあとの今際の際、看病してくれた浦田氏に、「もし死後祀ってくださるならご恩返しに歯の痛みを治しましょう」と言って死んだ。浦田氏はその言葉のとおりに孫三郎を祀ったら、霊験あらたかに歯痛でなやむことがなくなった。
といったものである。これにも2説あり、「歯」ではなく「目」だとする説がある。
いずれにせよ、これらの伝承は、何百何十年にわたって、人という器を介して移しかえられてきたものである。
であるから、伝承とは、伝言ゲーム的なおぼつかなさを常にはらんでいるものと言えまいか。
山神考―yamagami-koh― (vol.236)
小説 友任哀史 ―ともどう・あいし― (vol.232)
浪人坂のお話など(vol.231)
寒くなりましたですな(vol.227)
橋本新大阪市長のいう“独裁者”(vol.226)
福島県の四倉ふれあい市民会議さん来静(vol.225)
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Posted by 安倍七騎 at 23:42│Comments(0)
│徒然
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