2009年06月19日

東寺さん ―その2―(vol.129)

一ヶ月ほど前、『一個人 6月号 仏像入門』という月刊誌を買った。表紙には、赤みを帯びた阿修羅の木像。創刊9周年記念号ということでの保存永久版特集である。どうも私の場合“永久保存版”という書籍には手が出てしまう。

ある地銀の支店長さんとの会話で、話が仏像に及んだ。なんでも表紙の阿修羅像を東京まで観に行ったとのこと。平日で1時間待ちだったそうだ。以外にも若い女性が多かったという。阿修羅像を前に「ハンサム!」とこぼすらしい。

さて、東寺に行くまえにこの『一個人』を読んだが、永久保存版とあって、印(説法印、智拳印など、仏像の手の素振り)、光背、それから如来、菩薩、明王・天との違いなど、解説がわりと細かに書かれていた。

こういったベースがあると、仏像を前にしたとき、―覚えていないまでも―仏像の見方が変わってくる。
かれこれ、東寺講堂の立体曼荼羅諸尊を、一時間ほど眺めていた。また、講堂、金色堂の内部で天井を見上げると、日本の建築の美しさと力強さにも見惚れてしまう。


東寺さん ―その2―(vol.129)

 東寺の門から食堂を望む:
 弘仁14年(823)、空海が東寺を賜る。
 東寺は、足利尊氏、織田信長が本陣を置いたところでもある。
 
東寺さん ―その2―(vol.129)

 金堂(国宝・桃山時代):
 薬師三尊、十二神将がある。
 撮影禁止のため、諸仏の画像は撮れなかった。

東寺さん ―その2―(vol.129)

 講堂(重要文化財・室町時代):
 曼荼羅諸尊が置かれている。
 天正10年(1582)6月、もし織田信長がここに宿したならば、この金堂、諸仏像も灰燼と帰したであろう。 
 暑い日だった。講堂の中は、冷っとしてとっても気持ちよかった。クーラーのそれとは異なっていた。

東寺さん ―その2―(vol.129)

 五重塔(国宝・江戸時代)

東寺さん ―その2―(vol.129)

東寺さん ―その2―(vol.129)

 東寺さん近くの交番の看板


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Posted by 安倍七騎 at 02:57│Comments(0)徒然
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