2008年05月11日

その後の「坂本姫の顔洗い場」(vol.41)

vol.40では、葵区栃沢の「新茶を楽しむ会」参加について記しましたが、その帰りに、「坂本姫の顔洗い場」(葵区坂本)へ立ち寄りました。


拙著『安倍七騎』では、武田方の城である筒野城(城主・高瀧将監(たかだき・しょうげん) /葵区津渡野)が徳川軍によって攻め落とされ、城のお姫様が坂本に落ち延びてきたという伝説をもとに、「1章 安倍 筒野城」「3章 坂本姫」を書きました。そして、そのお姫様が顔を洗ったという言い伝えのある場所を、『安倍七騎』の巻頭にカラー写真で掲載しました。それが、下の画像ですが、ご覧のとおり、鬱そうとした雑木林のなかにありました。



(↑ 画像をクリックしてください)

この写真に添えたコメントは――、

 「坂本姫の顔洗い場」に立つ宮本金六さん。ここへの道は絶え、水も涸れていた。(静岡市葵区坂本字一色)

でした。宮本金六さんは、私を「坂本姫の顔洗い場」に案内してくださった方です。

また、ご覧のとおり(これも、画像をクリックしてください)、



私が取材で行った時には、まったく道はありませんでした(画像中、宮本金六さんの後姿が見えます)。

今年の1月29日、静岡市立藁科図書館主催で、「 郷土藁科が育んだもの ―― 小説『安倍七騎』を書き終えて ―― 」と題した2時間の講座を受け持ちました。この講座で、私は「坂本姫の顔洗い場」について触れました。

受講者に山田さんと云う方(葵区坂本)がおられ、この方が集落の方々に呼びかけ、「坂本姫の顔洗い場」へ行くための案内板や、歩道の整備、さらにはをたててくれました。

今度、この作業に携わってくださった方々にお会いし、直にお礼を申し上げたいと思います。

宮本金六さんは昨年7月に亡くなられましたが、私達への置き土産に「坂本姫の顔洗い場」を教えてくださいました。たまたま私が拙著でこの場所を紹介することになったわけですが、こうして郷土の歴史が埋もれないようにという機運が地元で強まり、かつ、行動を起してくださり、あらためて“書いてよかった!!”という実感が湧きました。

皆さんも是非お出かけください。


     ↓  画像をクリックしてくださいネ!



 入口の案内板と整備された歩道
 


 カーブもこのとおり。



 整備された歩道
 かなり急な坂です。



 「坂本姫の顔洗い場」の碑(手前)
 入口にあった案内板から5分ほどで到着。少しですが水がありました。



 はじめて知りましたが、顔洗い場のほか、「坂本姫の腰掛け石」もあったそうです。



 「坂本姫の顔洗い場」案内板の附近から、坂本の集落方面を望む。
 案内板は農道の脇にあり、そこまでは自動車で行けます。自動車1台が通過できる程度の道幅ですが、さらに農道を登っていくと、自動車が駐車できるほどの広い場所もあります。

  


Posted by 安倍七騎 at 10:46Comments(2)徒然